2022年9月12日月曜日

女の二十四時間/シュテファン・ツヴァイク

ツヴァイクの小説の特徴の一つとして、劇的な感情に一時支配されてしまい、それが原因でその後の人生に傷を負ってしまった人物の運命を描いているという共通点がありそうだ。

この「女の二十四時間」もその一つのようだ。
主人公の男が泊まっていた宿で、二人の娘を持つ貞淑そうに見える三十三歳ぐらいの人妻が、若い感じのいい美男子と駆け落ちしてしまう事件が起きる。

主人公が見ている限り、人妻と若い男が接触した時間は、テラスで二時間の間、話を交わし、庭でブラックコーヒーを飲みながら過ごしだ一時間だけ。

それをきっかけに、主人公は、宿の食事仲間との間で議論が起こる。

食事仲間たちは、人妻と若い男は実は前から付き合っていて、駆け落ちのためにこの宿に泊まりに来たのだと主張する。つまり、わずか三時間だけの話で、堅気の人妻が一夜にして夫と二人の子供を捨てて、運を天に任せ、見ず知らずも同然の若い色男に身を託すなど起こりうるはずがないと。

これに対して、主人公は、長年の間、幻滅を感じてきた退屈な結婚生活のおかげで、精力的に触手を伸ばしてくるあらゆるものに対して心の用意のできている女性の場合、そういうことは起こりうると。

そして、駆け落ちした人妻を、娼婦のように侮辱する食事仲間に対して、そういったことは起こりうるものだと彼女を弁護する。

その話を聞いていた食事仲間のうち、年配のイギリスの老婦人が、主人公に対して、こんなことがあっても、本当に彼女に対する態度を変えることはないのかと繰り返し尋ね、主人公の毅然とした態度を再確認する。

それ以来、老婦人は主人公に対して並々ならぬ関心を抱き、主人公と常に話したいという態度を見せるが、主人公が宿を発つという話を聞き、思いつめたように考えた結果、主人公に自分の過去の話を聞いてもらいたいというお願いをする。

それは老婦人が四十二歳の時に経験した「二十四時間」の出来事だった…という物語だ。

ツヴァイクは、人妻や老婦人を襲った、一夜にして関わった人々の運命を大きく変える当事者の意思や知恵を超えた突発的な出来事を、デーモン(超自然的な力)と呼んだ。

そのデーモンに自ら身を任せる選択をとったとしても、人は許されるべきであるというツヴァイクの信念は、人という不完全な存在に対する寛容性を強く感じ、共感できる。

しかし、ツヴァイクほど共感力が高く、常にそちら側に身を寄せるということは、同時に、自分自身がデーモンに魅入られてしまい、命を絶ってしまうことが起こりうるということでもあるのだろう。ツヴァイクの実際の人生からもその経緯を強く感じる。

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