2022年5月29日日曜日

山椒大夫/森鴎外

吉田健一の文学展示会に行った際、帰国して間のない吉田に、彼の師匠である河上徹太郎から、日本文学を学ぶのであれば、森鴎外の作品を読んだ方がいいと指導していたという展示物を読んで、確かに森鴎外の文章ははずれがないよなと思ったので、長く敬遠していた「山椒大夫」を読んでみた。

この「山椒大夫」に関しては、物語の悲劇性がどうも肌合いがよくなかった。
山岡大夫や船頭にたやすく騙されてしまった母親にやるせない怒りを感じたからだ。よく考えれば彼女も被害者なのだが、だます悪党よりもあまりにも善人な母親にもう少し用心深く慎重に旅ができなかったのかという変な怒りがあったからかもしれない。

一読したが、非常に長い物語のはずが五十ページ程度に必要最小限に刈り込まれていて、鴎外五十三歳の時の作品らしいが端然とした文章にすきはなく、一流の作家が書いた作品になっているという印象を受けた。

また、想像を裏切られていた点として、厨子王が姉を自殺に追い込んだ山椒大夫に復讐しただろうと思い込んでいたのが、作品では、厨子王は国守となった後、奴婢を解放する政治改革は行うが、山椒大夫への個人的な怨みにもとづいた復讐はせず、「一族はいよいよ富み栄えた」の一文となっていた。

私は、厨子王のあまりにも出来た人格に、彼の心の奥底は、ぼろぼになった母親と姉の無念を思えば、山岡大夫や船頭、山椒大夫への怒りは消えなかったはずだと思った。

私は、かつて丸谷才一が、森鴎外は「美談好き」で、「そめちがえ」という花柳小説すら美談にしてしまったのが原因で作品が面白くない、と評していたのを思い出した。

丸谷才一は、鴎外がそのような「美談好き」となった理由として、彼の社会的立場(軍人であり官吏)や明治人のモラルのほか、当時の日本文学の流れが鴎外の嫌いな自然主義文学が興隆を強めていたこと(美談とは真逆で現実を写実的に表現する)や、江戸期の文明への懐旧の思いかを挙げている。だから、彼は後年、安心して美談が書ける歴史小説と伝記を選んだのだと。

そう考えると、鴎外の職業や時代背景が異なれば、この「山椒大夫」の作風も少し変わったかもしれないと思うとすこし残念だ。もちろん、この作品でも文章は間違いなく一級品なのだが。(説話にあるような残酷な場面をそれこそ自然主義的に書いた作品も嫌だけれど)

0 件のコメント:

コメントを投稿