2018年6月10日日曜日

フィリップ・マーロウの教える生き方/マーティン・アッシャー 村上春樹 訳

本書は、村上春樹の友人である編集者 マーティン・アッシャーが、「彼の最良の寸言はシェイクスピアのそれとまでは言わずとも、少なくともオスカー・ワイルドに匹敵している」と思う「寸言」を、レイモンド・チャンドラーの小説から抜き出したものだ。

面白いのは、村上春樹も「引用」とか「名文句」という表現をしていて、決して、「箴言」とか「名言」と言っていないことだ。

そこが、このチャンドラーの文章の魅力なのかもしれない。
重すぎず、軽すぎず。
皮肉めいているが、厭世的というほどではなく、
深刻ぶらず、適度に冗談めかしているが、知性的で感情の発露を抑制している。

例えば、
さわやかな朝だった。人生を単純で甘美なものにしてくれるだけの活気が空気の中にあった。もし心に重くのしかかるものがなければということだが、私にはそれがあった。
(大いなる眠り) 
暗い赤みのかかった美しい髪で、微笑みを遠くに向けて浮かべ、肩にはブルー・ミンクのショールを掛けていた。ロールズロイスがそのへんのありきたりの車に見えてしまいそうなほど豪勢なショールだが、とはいえやはりロールズはロールズである。結局のところ、それがロールズロイスという車の意味なのだ。
(ロング・グッドバイ) 
私はチェス盤を見下ろした。ナイトを動かしたのは間違いだった。私はその駒をもとの位置に戻した。このゲームではナイトは何の意味も持たない。そこに騎士(ナイト)の出番はないのだ。
(ロング・グッドバイ)
私はキッチンに行ってコーヒーを作った。大量のコーヒーを。深く強く、火傷しそうなほど熱くて苦く情けをしらず、心のねじくれたコーヒーを。それはくたびれた男の血液となる。
 (ロング・グッドバイ)

「あなたは自分のことを知恵の働く人間だと思っているのかしら、ミスタ・マーロウ?」
「まあ、あふれてこぼれ落ちるほどでもありませんが」と私は言った。
(高い窓)
最後の引用は、村上春樹自身によるもの。

今回読んでみて、ああ、こんな文章もあったんだという新しい発見があった。
また、チャンドラーの小説が読みたくなる。
そんな本だ。


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