2015年5月16日土曜日

戦後70年も経つと当たり前だったことも当たり前でなくなるという実感

5月14日、安倍政権が、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案を閣議決定し、翌15日に、同法案を国会に提出した。

5月15日は、43年前、アメリカの施政下にあった沖縄が日本に返還された日である。

その同じ日に、日本国憲法に基づき戦後一貫して専守防衛の立場をとってきた日本の安全保障の方針が抜本的に変更される法案が提出されたという事実は、日本という国がひとつの岐路に差しかかっていることを象徴的に表しているような気がする。

安倍首相は、安保法案の説明の際、「戦争法案」などという無責任なレッテル貼りは全くの誤りという言葉を漏らしていた。

しかし、「平和安全法制整備法案」、「国際平和支援法案」という、“平和” づくしの法案名称を目にするにつけ、実は「戦争法案」ではないのか、と疑いたくなるような気持ちにさせるものがある。

2014年4月に、安倍政権が、「武器輸出三原則」を、「防衛装備移転三原則」 という一見して訳の分からない言葉に変えて、 日本が武器を海外に輸出・販売できるように変えたも記憶に新しい。

その影響は徐々にあらわれているようだ。

世界が注目! なぜ今? 日本初の武器商談会
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/newsl/post_89837/

武器の商売も、アベノミクスの重要な“三本の矢”の一つということらしい。

安保法案の内容は、ひととおり新聞で目を通した。

確かに、武力行使の新3要件、国会の承認など、一見すると一定の歯止めがかかっているように見える。

しかし、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」という歯止めがあっても、その文言を解釈し、運用するのは時の内閣だ。

この言葉だけから受ける印象では、まさに、日本人の生命に関わるような危険な事態の場合のみ、武力行使が可能となるような印象を受けるが、すでに、安倍首相は、中東・ペルシャ湾のホルムズ海峡に機雷がまかれた場合を挙げ、「我が国が武力攻撃を受けた場合と同様に深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況にあたりうる」と述べ、集団的自衛権行使の具体例になるとの認識を明言している。


また、最大の懸念は、日本がアメリカが行う戦争に巻き込まれるのではないか、ということだ。

安倍首相は、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは、「絶対にあり得ない」  と明言しているが、何故、そう言い切れるのだろう。

アメリカからすれば、日本の首相が、日米同盟を地球規模で強化することを明言し、これほど積極的な意欲を表明している以上、自らの戦争において、日本に支援を求めることは必然的なことになるのが自然な成り行きだろう。

アメリカの下院が「日本の防衛政策の変更を支持する」と、わざわざ表明したのも、その期待(日本への圧力)を示しておきたかったからだろう。

そういうアメリカの期待を引き受けてしまった後で、国会の承認を要すると言って、自衛隊の海外派遣を果たして否決することなどできるのだろうか。
今の政権に、アメリカにNoを突き付ける意思と力があるのだろうか。
逆に、尖閣の問題は自国で対応しろ、と脅しをかけられるのが関の山のような気がする。

ここまで事態が進んでくると、正直かなり厳しい印象を受けるが、明日からの国会審議においては、野党は一致団結して、この法案を廃案に追い込んでほしい。

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