2015年1月12日月曜日

中上健次 鳳仙花/日本文学全集 23

この小説は、あまりにも、前近代的な世界に満ちている。

昭和六年ごろの日本(紀伊半島 古座)とは、こんな所だったのか、と思ってしまうほどに。

貧困、多産、産婆、出稼ぎ、女中、若衆、野合、木場、女郎、朝鮮人、差別、刺青、博徒、行商…

しかし、この物語の中では、いまや社会の表側から消え去ったこれらの存在が、ひどく人間的で、懐かしいもののように思える。

この物語は、主人公の十五歳からの約二十年間の人生を、紀伊半島にある古座と新宮という閉じられた世界で描かれている。

だからこそ、その世界は人と自然、時間や思いが濃密に交錯していて、現代のパサパサとした生活とは、まるで異次元の、濃い原色の世界のように感じるのかもしれない。

そして、この物語を、どうしようもなく魅力的なものにしているのは、間違いなく、主人公のフサだ。

彼女は、五人の子供を産み、仲の良い夫に先立たれながらも、戦争の混乱期のなかを、たくましく生きる。

そして、彼女の強い生命力のあらわれのように、女性としての美しさを失わず、複数の男に求められ(彼女が求め)、子供を体に宿す。

一生懸命、精一杯に生きることと、男とまぐわい、子を産み育てることは、まるで同じことだというように、彼女の生き方は映る。

私の少ない読書経験でいうと、フサは、モラヴィアが書いた「ローマの女」の主人公アドリアーナに似ている。

こんなに力強く生きる女性を描いた日本の小説が、しかも1980年という世の中がどんどん明るいものだけになってゆく時代の小説の中にあろうとは、思いもしなかった。


蜷川実花の帯写真が美しい。

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