先週行われた憲法審査会で、3人の憲法学者が、今の安保関連法案は違憲であると発言したことは、実に大きかったと思う。
憲法学者が、ここまで存在感を発揮したのは、戦前、天皇機関説を主張し、軍部と右翼から非難を受けた憲法学者の美濃部達吉以来ではないだろうか。
違憲を主張する憲法学者を非難し、蔑ろにしようとしている安倍政権のこれまでの発言と、一部の新聞社の記事を見ていると、日本がこれから物騒な時代に入ろうとしている警告音のように感じる。
憲法というのは国の根幹だ。
平和、自由、平等、幸福追求。
今では当たり前すぎて、空気のように何も感じないが、それが無くなると大変なことになる我々の生活の基盤のようなもの。
今の日本国憲法を、アメリカから押しつけられた憲法であるかのような発言を目にするが、仮にそうだとしても、そこに謳われている価値観を否定する必要がどこにあるのだろうか。
戦後70年、我々が平和に暮らすことができたのは、間違いなく、この憲法が日本を戦争から遠ざけてきたおかげである。
その憲法の重要な要素である平和主義を骨抜きにして壊そうと、憲法違反の法律を強引に成立させようとしているのが今の安倍政権だ。
大臣、国会議員を含む公務員は、日本国憲法 第99条に基づき、憲法の尊重擁護の義務を負っている。もし、強引に、この安保関連法案を成立させようとするならば、彼ら自身が憲法違反を侵したことになるだろう。
安倍政権が、唯一できるのは、正面から、憲法改正を発議し、国民の信を問うことである。
私は反対だが、これで憲法が改正されるのであれば、それはやむを得ないことだと思う。
2015年6月12日金曜日
2015年6月7日日曜日
The Affair of Two Watches / 谷崎潤一郎
谷崎潤一郎が二十五歳の時に書いた自伝的な作品だ。
今読むと、後の自伝的小説「異端者の悲しみ」の原形のような作品だったことが分かる。
金のない放縦な大学生活、死への恐怖と飲酒癖、家族との葛藤。
その中でも面白いのは、寝起きの悪い谷崎(この作品では山崎禄造という名前)を起こそうとする父母とのやり取りである。
谷崎の父母は生粋の江戸っ子だったから、その口調は文字にしても実に活き活きとしていて、聞いている側が楽しくなってしまうような魅力がある。
谷崎がわざと寝起きを遅くしていたのは、親への反抗心もあるのだろうが、この一際、ことばに敏感だった男は、両親が歯切れよく放つ話し言葉を聴くことに一種の快楽を覚えていたのではないだろうか。
特に相場師だった父親について、谷崎はその日常の仕草を面白おかしく取り上げているが、実直な好人物だったことが分かる。
相場師のくせに、女を買わず、借金をせず、嘘を言わず、極めて融通が利かない。
料理のできない妻に代わって、本を読みながら料理を作ったり、訪問販売の男が主婦と怪しい関係になる「出歯亀事件」が起きているという記事を新聞で読み、たまたま化粧品を売りにきた苦学生を追い返してしまう。
向田邦子が描いた昭和初期の頑固な父親への愛情のこもった視線と変わらないようものを、そこに感じる。
本作のタイトルは、金のない二人の学友と共に、その場しのぎの欲望のために質に入れてしまった2つの時計の事を指しているが、ジェローム・K. ジェロームの「ボートの三人男」(Three Men in a Boat)にちなんで、Tree Men with Two Watchesという小説を書いてみたらどうか、という戯言から付けたらしい。
「ボートの三人男」は、丸谷才一訳で読んだことがあるが、いかにもイギリス小説らしい、ほのぼのとしたユーモア小説である。
谷崎も、この時、すでに原文で読んでいたのだろうなと思うと、 いい加減な生活を送っていたようで、読むべきものは読んでいた彼の学生生活が想像される。
今読むと、後の自伝的小説「異端者の悲しみ」の原形のような作品だったことが分かる。
金のない放縦な大学生活、死への恐怖と飲酒癖、家族との葛藤。
その中でも面白いのは、寝起きの悪い谷崎(この作品では山崎禄造という名前)を起こそうとする父母とのやり取りである。
谷崎の父母は生粋の江戸っ子だったから、その口調は文字にしても実に活き活きとしていて、聞いている側が楽しくなってしまうような魅力がある。
谷崎がわざと寝起きを遅くしていたのは、親への反抗心もあるのだろうが、この一際、ことばに敏感だった男は、両親が歯切れよく放つ話し言葉を聴くことに一種の快楽を覚えていたのではないだろうか。
特に相場師だった父親について、谷崎はその日常の仕草を面白おかしく取り上げているが、実直な好人物だったことが分かる。
相場師のくせに、女を買わず、借金をせず、嘘を言わず、極めて融通が利かない。
料理のできない妻に代わって、本を読みながら料理を作ったり、訪問販売の男が主婦と怪しい関係になる「出歯亀事件」が起きているという記事を新聞で読み、たまたま化粧品を売りにきた苦学生を追い返してしまう。
向田邦子が描いた昭和初期の頑固な父親への愛情のこもった視線と変わらないようものを、そこに感じる。
本作のタイトルは、金のない二人の学友と共に、その場しのぎの欲望のために質に入れてしまった2つの時計の事を指しているが、ジェローム・K. ジェロームの「ボートの三人男」(Three Men in a Boat)にちなんで、Tree Men with Two Watchesという小説を書いてみたらどうか、という戯言から付けたらしい。
「ボートの三人男」は、丸谷才一訳で読んだことがあるが、いかにもイギリス小説らしい、ほのぼのとしたユーモア小説である。
谷崎も、この時、すでに原文で読んでいたのだろうなと思うと、 いい加減な生活を送っていたようで、読むべきものは読んでいた彼の学生生活が想像される。
2015年6月6日土曜日
酒宴 吉田健一/日本文学全集 20
吉田健一の作品には、酒がテーマになっているものが多いが、彼がいかに酒を飲むのが好きだったのかが伝わってくるものが多い。
作者が、銀座の蕎麦屋「よし田」で、灘の酒造会社の技師と意気投合し、場所を八重洲に移し、朝まで飲み続け、勢いで、灘の酒造会社の工場を見学することになる。見学も終わり、その会社の関係者と宴会を行うことになるのだが、皆、酒豪揃い。「献酬」という、差しつ差されつという表現では甘いと感じるほど、壮烈な杯の交わし合いがはじまる。
そんな、のっぴきならない状況の中でも、吉田健一の心の中は至って平静で、可笑しいのは、心の中で、周りにいる猛者たちを、酒量によって、七石、四十石、七十石とあだ名をつけて、酒が体に流し込まれる様子を工場のタンクに大量の酒が流し込まれるようなイメージで描いているところだ。
本当をいうと、酒飲みというのはいつでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、というのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止っていればいいのである。という、ある意味ものすごいことを、さらっと述べている「酒宴」もその一つだ。
作者が、銀座の蕎麦屋「よし田」で、灘の酒造会社の技師と意気投合し、場所を八重洲に移し、朝まで飲み続け、勢いで、灘の酒造会社の工場を見学することになる。見学も終わり、その会社の関係者と宴会を行うことになるのだが、皆、酒豪揃い。「献酬」という、差しつ差されつという表現では甘いと感じるほど、壮烈な杯の交わし合いがはじまる。
そんな、のっぴきならない状況の中でも、吉田健一の心の中は至って平静で、可笑しいのは、心の中で、周りにいる猛者たちを、酒量によって、七石、四十石、七十石とあだ名をつけて、酒が体に流し込まれる様子を工場のタンクに大量の酒が流し込まれるようなイメージで描いているところだ。
こうなると、酒はもう飲むというものではなくて、酒の海の中を泳ぎ廻っている感じである。海は広くても、それが飲み乾せるし、又飲み乾したいと思う所に、普通の海と酒の海の違いはあるのだろうか。海はどこまでも拡がっていて、減った分だけ又自然に湧いて来るから、飲み乾したくて飲む喜びは無限に続き、タンクが幾つあっても足りることではない。酒を飲むという行為を、こんな壮大なイメージで、かつ上品に文章に表すことができたのは、吉田健一だけかもしれない。
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