2024年10月19日土曜日

詩歌川百景 4 /吉田秋生

お葬式でドラマが起きるという流れは、前作の海街でもそうだったが、詩歌川の物語でも、やはり起こる。

幼い和樹と義弟の守を育ててくれた飯田の叔母が亡くなり、葬式に訪れる人々に接し、和樹は自分と守が、こんなにも多くの人たちに支えられていたということに気づく。

一方で、だらしない実母に引き取られ、性格がすさんでしまった義弟 智樹が和樹の前に現れ、自分の義姉(鈴)と守を傷つけようとする言動に激昂した和樹は智樹を殴ろうとしてしまう。

その自分の行為に深く傷ついた和樹を、妙はやさしく抱きしめる。
この物語で二人がもっとも近づいた場面だと思う。

しかし、この物語で、妙は、何度、”ことば”にしなくてもよいと思うような場面で、明確に”ことば”にして、和樹と守を癒し、肯定し、救ってきたのだろう。

これは、もう一人の精神的メンターである林田(リンダ)が言うようにPieta(慈悲)としか、言いようがないけれど、妙にとっては、和樹が大事な存在であることがよく分かる場面だ。

妙が守に語った11才の時に「河童淵」で見た河童とは、和樹のことなんだと思う。

妙が死のうとして飛び込んだ「淵参り」で、自分を救ってくれた和樹。
それは、妙にとっては恋だったのか、Pietaだったのか。

個人的には前者だと思う。ひょっとしたら妙自身も気づいていない。

2024年10月14日月曜日

異端者の告発/安部公房

 この作品は、ある意味、分かりやすい。

「神は死に、一切が人類の手に与えられた今、」は、明らかにニーチェの影響があるし、「しかし、僕の訴訟はなかなか捗らなかった」は、カフカの「審判」を思い起こさせる。

それに、主人公の僕が行き来する二つの町。一つは僕が現在住む「必然性と可能性を信用貸で両替できる」現代の都市(おそらく日本)。
もう一つは河向こうの下町(おそらく安部が過ごした満州奉天市)が舞台だ。

主人公の僕の罪の意識には、おそらくは中国での侵略者としての日本人の意識があり、それが故に、敗戦国である日本の被害者意識を持つ日本人の町の中では「異端者」になってしまう。

また、下町で、僕が僕に付きまとう名誉市長X(僕自身)を殺そうとしても殺せなかったのは、消せない戦争の事実のようにも思える。

その僕が正式な裁判を受けられずに、瘋癲病院に入れられてしまうのは、戦争責任を自ら裁けなかった日本という国を象徴しているようにも思えるし、

「臆病…猜疑心…へっぴり腰…君たちの矛盾と、不安のかくれもない証拠…」と最後に嘲笑している対象ば、敗戦後の日本人の姿のようにも思える。


牧草/安部公房

一読して、怖い作品だなと思った。

語り手である私は、故郷恋しさに、かつて父が住んでいた「五年以上住む人がいない」といういわくありげな家を再訪する。
そこで、彼は家の現在の住人である医者と思われる「彼」とばったり出会い、知り合いになる。
彼は妻と二人でこの家に四年間住み続けている。
妻は美しいが、無口で「変人」らしい態度。
彼は私を一方的に信頼し、彼の妻に対する愛と性格の問題について話し出すが、しんとした家の中で「なぜかそれ以上聞くのは堪えられないように思われ」、家を去ろうとするが、彼から「いつか役立つこともあろうかと思いますから」、私の住所を書いてくれと頼まれる。

その一年後、彼から一通の手紙が届く。彼は手紙で、妻が精神分裂者であったことを告げ、「ちょっとした手落ち」で妻を死なせてしまったことを告白する。
ルミナール錠を「その日に限って机の上に出しっぱなし」にしてしまい、誤って過剰摂取してしまった妻。しかし、それを吐き出さそうとせず、薬が効き、死にゆく妻を待つ彼。

手紙を読んで「ただ、たまらなく不愉快だった」私は家に再度赴くが、「なぜか特別な気配に思わず立ち止まってしまう」。来た路を引き返そうとする私は、

「すぐ二十メートルも離れていない窪みの中に、目深に帽子を被り、膝に猟銃をかかえ、黒い外套の衿を立てて坐っている男」(彼)に気づき愕然とする…という物語だ。

彼が私を殺そうと待ち伏せしていたのか、あるいは別の人間を待っていたのかは語られていないが不気味な印象が残る作品だ。

なぜ、前半の一見やさしげな妻を愛しているように見えた彼が、後半暴力的な人間に一変したのか、あるいは、そもそもの本性が暴力的な人間だったのか。

後者と考えると、彼はなぜ私を殺したかったのか。

こういうざらっとした意味不明な暴力性を感じた作品は、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」以来。