まず一つに、彼の人生が深く二十世紀の歴史的な出来事に関わっている点が挙げられる。
モラヴィアは、1907年イタリア ローマの中産階級の家に生まれ、骨髄カリエスにかかり、闘病生活のため、小学校を退学することになる。
それでも、病床にありながら、ドストエフスキー、ランボー、ジョイス、シェイクスピア、マンゾーニ等の文学作品を読みふけり、二十歳の時に、処女作「無関心な人びと」を書き上げる。
しかし、その作品は、中産階級の退廃を描くものとして、当時のムッソリーニ首相率いるファシズム政権から禁書指定を受けてしまう。
ファシズム政権が台頭し、人種差別による迫害が強まる中、ユダヤ系の血を引くモラヴィアは、偽名を用いながら文筆活動を続け、戦争末期には、ドイツ軍に追われながら、イタリアの山中の山小屋で、9ヶ月間、妻のエルサ・モランテと疎開生活を送る。
戦後は、日本の広島を訪れ、反核運動も行い、晩年は、欧州会議に無党派左翼として立候補し当選もしている。
次に、壮観ともいえる交友関係。
パゾリーニ、ウンベルト・エーコー、サルトル、カミュ、ジャン・コクトー、ノーマン・メイラー、ソール・ベロー、三島由紀夫さらには、ベルナルド・ベルトリッチ、ルキノ・ヴィスコンティ、ゴダール…
モラヴィアは、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ベルリン、メキシコ、ロシア、中国、日本、アフリカと、様々な国々を活動的に旅行しているが、至るところで幅広い交友関係を築いている。
三つ目は、数え切れないほどの恋愛の数の多さ。
ちょっと変わった初体験から、一回り年上の既婚者のドイツ女性との恋、十七歳のフランス娘との激しい恋、トスカーナ地方の貴族の娘との恋、旅先で知り合ったドイツ女性の部屋に夜這いするため、雨どいを伝って、テラスから部屋に侵入するも拒まれ、それでも諦めきれず、彼女を追いかけてヒトラー政権が誕生したベルリンにも行く。友人の妻(オランダ女性)にも恋をし(キスまでしたが友情を優先し諦めた)、彼氏がいる画家のスイス女性にも恋をし、彼女を奪ってしまう。メキシコへの旅行の際の電車の車中では知り合ったドイツ女性とセックスをし、アメリカから帰る船中では、イギリス貴族の娘と恋をした。
モラヴィア自身、自分は動物的だと評しているが、こと恋愛に関しては、まさにそのとおりで、彼は何のためらいもなく本能に忠実に行動している。
そして、彼にとっては、生きるうえで、二十世紀の歴史的な出来事以上に、恋愛が大切だったことが分かる。伴侶も、最初のエルサ・モランテと別れた後、二十九歳下の作家ダーチャ・マライーニと、彼女と別れた後、七十歳を超えてからは、四十五歳下のルレーラ・カルメンと結婚している。
こういった色事の記述だけでも、読んでいておもしろいが、何より、モラヴィアの所々に出てくる人生の真実を見透かしたような一言が印象に残る。
私に言わせれば、一つの人生と他の人生に価値の違いはない。
つまり、感性のレベルで、そして健康に恵まれているという条件なら、一般に思われているほどの不公平はないということだ。
たぶん、特権者は何人かいるだろう。しかしそれは、社会で比較的に高い地位についているとか、財産を持っているとか、権力を持っているとかという連中のことではない。
私の考えでは、特権者とは、創造の分野であれ、学識の分野であれ、芸術と関わりを持っている人々だよ。
…あらゆる種類の困難なに満ちた長い生涯であるにも関わらず、結局、私は自分を、芸術家であるという事実によって特権者と見做しているからだ。…この観点からすれば、私の生涯の収支は黒字ということになるのかな。…モラヴィア自伝の最後は、インタビュアーの「その言葉で、モラヴィアの生涯についての話は終ったと思いますか?」の問いに、「そう、そう思う。」という言葉で締めくくられている。
そして、この自伝が印刷された本が完成したその日に、彼は心臓麻痺でこの世を去った。
本当に小説のような、映画のような人生だ。
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