2018年10月29日月曜日

たる工場の怪・ジェランドの航海/コナン・ドイル

「たる工場の怪」は、蝶の採集のため、アフリカ辺りを航海していた船の船長が、水の補給のために立ち寄った島の交易所で経験した怪事件だ。

船長は、現地でたる工場を経営している交易所の支配人から、工場で立て続けに起きているの怪事件を聞く。

それは、たるのたがが盗まれないようにと警備をしていた夜警が二人とも行方不明になってしまったという事件だ。暴行の跡や血痕、島から出て行った形跡も見られない。

船長は、支配人から工場で寝ずの番をしてほしいと頼まれ、嵐の夜に耐えて監視を続けたが、工場では何事もなく夜が明ける。

しかし、熱病のためアヘンを飲んで寝込んでいた支配人の同僚が住家で肋骨を粉々に砕かれ、変死していたことが分かる。

泡を食った二人は船長の船に逃げ込むが、その海の上で偶然、怪事件を引き起こしていた原因を発見する...という物語だ。

物語自体は、それほどの恐怖や意外性はない。むしろ、アフリカの現地人の会話を、
「お世話申しましゅ」とか「できましぇん」と訳していることに驚いた。

*原文を見るとnegroと差別的な単語があったので、馬鹿にしたような言葉遣いにしたのだろうが、それにしても...という感じ。

「ジェランドの航海」は、日本の横浜を舞台にした作品だ。
大きな輸出商の一番番頭だったジェランドと同じく番頭のマキヴォイは、博打で負けがこみ、一文無しになり、小切手を振り出し、事務所の金を流用してしまう。
帳簿監査までの間に巻き返して穴埋めするつもりだったが、予想外に早く帳簿の監査が実施されることになってしまう。

腹をくくった二人は、事務所の金を持ち出し、缶詰が詰め込まれた船を購入し、夜逃げする。

しかし、海は凪の状態で遅々として進まない。そのうち、追手が二人に気づき、船を追いかける。絶望した二人は銃で自殺を図るが、その時...という物語だ。

作者としては、二人の死体を乗せた船が大海原を漂う謎を描きたかったのだろうが、多少無理があるなと思った。そんなに都合よく風が吹き出すのかとか、なぜ銃で応戦しなかったのかなど。

それと日本が舞台となっているが、「この地震国ではすべての家屋をがんじょうには作らない習慣だった」という記述ぐらいで、舞台が日本でなければならない事情はあまり見受けられない。ただイギリスの帝国主義の雰囲気はなんとなく感じる。

2018年10月28日日曜日

エディプスの恋人/筒井康隆

本作では、火田七瀬は地方の進学高校の教務課で働いている。
そして、その高校で、一人だけ異質な精神構造をした不思議な「意志」の力で守られている男子生徒を見つける。

野球のボールが彼にぶつかりそうになれば、寸前でボールがさく裂し、
彼を殴ろうとした同級生は空のプールに突き落とされる。

彼が念動力を持っているわけではなく、何かの「意志」が彼を傷つけようとする者から守っているのだ。

興味を持った七瀬は、彼の謎を探るため、画家である彼の父親の絵画展に行ったり、その故郷まで訪れ、不思議な「意志」の力の発現が彼が子供だった頃に起きた母親の失踪と関係していることに気づく。

そして、突然、彼と激しい両想いの恋に落ちる。
付き合い始めた二人の関係を邪魔する男たちは「意志」の力によって酷い目にあわされ、存在すら消されてしまう。

彼を守る「意志」の力とは何なのか?
七瀬は、彼の父親と会い、その真相について知らされる。
それは、神の存在に近い「宇宙意志」の存在だった...

「意志」の望みに従うことで、「宇宙意志」の意識さえ体験した七瀬だったが、自分の生きる世界に現実感を失くしていく。

しかし、「意志」が七瀬に現実感を与えようと、彼女が失っていた超能力者の仲間たちとの記憶をよみがえらせたことで、七瀬は本来の自分に覚醒する。
彼女のクールな知性は、「意志」が用意した超能力者の仲間たちとの再会の矛盾を、そして、自分の存在すら現実のものでない可能性があることを見破ってしまう。
その知性は、まぎれもなく前作「七瀬ふたたび」で見えない組織と戦っていた頃の彼女の姿だ。

七瀬は「意志」の言いなりになって、現実味のない生き方を強いられるくらいなら、この物語「エディプスの恋人」を早く終わらせてしまおうと自ら決断してしまう。
こんな物語の終わり方は聞いたことがない。

作者が愛した気丈な女性は、作者の言いなりにすらならなかった。

2018年10月26日金曜日

家族八景/筒井康隆

火田七瀬が主人公の最初の作品。

この物語は、タイトルの通り、七瀬が「お手伝いさん」として八つの異なる家族の家に住み込み、そのテレパスの能力から、各家族の裏事情(それはどちらかというとネガティブな感情の集積といってもいいかもしれない)を読み取り、ある時はその家族に敬遠され、ある時はわが身に迫る危機を脱するためにその家を立ち去るまでの物語だ。

この小説を読むと、確かに“家”というのは、ある意味、閉ざされた密室のようなものだと思う。
第二話「澱の呪縛」の家の中に籠る異臭などは、まさにその好例だ。
自分たちでは全く気づかないが、ある日、他者である七瀬が家に侵入することで、この家の人々は、それまでの自分たちの不潔さに気づいてしまう。

あるいは第八話「亡母渇仰」で母の死に泣き叫ぶ幼児と化した二十七歳の男は、告別式で会葬者に目撃されることにより、その異常性があらわになる。

それと意外なのは、火田七瀬が最初のほうでは十八歳の痩せているだけの目立たない観察者として配置されているということ。
二作目の「七瀬ふたたび」で、地味な格好をしていても目立ってしまう美貌の女性として描かれていた七瀬とは、別人のように描かれている。

第四話の「水蜜桃」では、定年退職して暇を持て余している中年男に犯されそうになるが、この時の七瀬は、十九歳の肌は瑞々しくても痩せすぎの女性でしかない。

それが、第七話の「日曜画家」で、突然、七瀬の印象が変わる。
少し以前から七瀬は、最近急に女らしくなってきた自分のからだつきに、いくらかの危険を感じはじめていた。男たちの眼をひきつけるに充分な美貌を自分が備えはじめていることも、ぼんやりと自覚していた。
この変化はなぜ起きたのだろうと、興味深いものがある。
物語の積み重ねとともに、作者自身の中で七瀬の存在が大きくなり、もっと書いてみたいと思うキャラクターに育ったからかもしれない。

その転機は、第五話の「紅蓮菩薩」で住み込んだ家の心理学の教授が彼女の超能力を探り出そうとした際に、巧みに切り抜けた彼女の意外な強さによって訪れたのかもしれない。

あるいは、第六話「芝生は緑」の二組の中年夫婦の浮気心と激しい情欲に当てられっぱなしだった七瀬を、もっと魅力的な女性にしたいという作者の願いだったのかもしれない。

1972年の作品だが、今読んでも面白い作品だと思う。

2018年10月23日火曜日

縞のある衣類箱・ポールスター号船長/コナン・ドイル

「縞のある衣類箱」は、濃霧に包まれた海で一隻の漂流船を見つけた船長とクルーが遭遇した奇譚だ。

その漂流船には大きな衣類箱と後頭部を斧のような鈍器で潰された死体だけが乗っていた。
残されていた航海日誌には、この箱が宝物箱であること、そして取り扱いに注意すべきことが書かれていていた。

船長とクルーは、唯一価値のあると思われる衣類箱を自分たちの船のキャビンに積み替えたが、その日の夜明け前、キャビンから人の叫び声が聞こえた。船長が行くと、箱の横に、この箱に強い興味を抱いていた一等航海士が倒れており、頭から血が滴っていた...という物語だ。

まるで、インディジョーンズの聖櫃のような話だが、この小説はよく出来ている話だと思う。

「ポールスター号船長」は、北極海をさまよう捕鯨船に乗り込んだ医師が遭遇した奇譚だ。
航海中、船員が子供あるいは女の泣き叫ぶ声を聞いたという怪奇現象が起きる。
しかもそれだけでなく、浮氷原に背の高い白い姿の何者かがいるのを見たという証言まで出てくる。

そして、この怪奇現象は、意思が強そうな美しい肖像画を飾っていた精神的に不安定な気性の荒い船長の事件によって半ば真相?が解明する。

コナン・ドイルは心霊現象にも興味を持っていたことがわかる小説だ。
しかし、それよりも鯨油を探し求めてイギリスの船が鯨漁をしていたことのほうが興味深かった。

実際、コナン・ドイルは半年間、捕鯨船の船医となって北氷洋を船で暮らした経験があるらしい。長い航海中、誰もいないはずの白い氷の上に何者かの存在を感じることは実際にあったのかもしれない。

2018年10月22日月曜日

ヘル HELL/筒井康隆

人間、生きていれば、誰しも後ろめたい過去は心当たりがあるはずだ。
自覚しているものもあれば、無意識のものもある。

ふとした時に自分の人生の善悪の収支を数えてみて、天国行きだと思う人がどれだけいるのだろうか?

おそらく地獄は、多くの人にとって身近な存在に違いない。

この本で描かれているヘル(地獄)は、リアリティがある。
信照、勇三、武の幼馴染の三人を中心に、三人に絡んだ人々も含めて物語は展開していく。

武は、信照と勇三との遊びの中の悪ふざけで足が跋扈になるが、部下の泉の妻とは不倫の仲だ。

信照も東京にある文化的に価値のある建物の保存運動を都庁に勤める義弟の頼みで潰した過去の罪悪感にさいなまれている。

勇三はヤクザになってしまったが、その原因はひもじい暮らしをしていた勇三を見かねた紳士 二人が勇三を地獄に連れていき、御馳走を食べさせようとするが、行儀の悪さに気を悪くし、折檻してしまったことが原因らしい。

ある人に対しては自分は被害者だと思っていても、ある人に対しては加害者になってしまう相対的な関係。

地獄では、自分に過去に(悪い方面で)関係した人が立ち現れるが、何をしたかは目を凝らせが自動的に浮かんでくる。
自分の上司が自分の妻とSEXをしている情景も浮かんでくるし、その当事者の意識になることすらできる。

ただ、それで嫉妬心や憎しみを持つ訳でもない。自分の思念に浮かんだ過去の情景にある人々の姿や思いをみるだけだ。

この一見地獄らしくない地獄めぐりは、我々が日々、色々な出来事に反応して頭の中に思い描いている妄想の世界に近いものがあるのかもしれない。


2018年10月21日日曜日

悪夢の部屋・五十年後/コナン・ドイル

「悪夢の部屋」は、美しい妻に対して贅沢を許し、愛情を注いできた夫が、その妻に毒殺されそうになっており、夫は妻のたくらみを問いただすのだが、そこから、妻が別に愛している男が判明し、その男が登場するという三角関係を描いている。
しかし、まるでジョークのように、この物語は唐突に終わる。
コナン・ドイルらしくない、ある意味、雑ともいえるこの作品は、彼の珍品ともいえるものかもしれない。

「五十年後」は、ある資本家が思い付きで実行した漆喰塗りの工場設立が原因で、競合する工場に勤めいていたジョン・ハックスフォードが職を失い、愛する娘メアリーをイギリスに残し、カナダに旅立ち、職を求めるのだが、カナダで犯罪に巻き込まれ、記憶喪失になってしまうという物語だ。ジョンは記憶をなくしたままカナダの工場で働き続ける。
しかし、頭も白髪になったジョンが偶然イギリスの地元の水夫たちの方言に心惹かれ、話を聞くうちに失われた記憶を取り戻す。
彼は、ためらわずイギリスへの汽船に乗り込むが、すでに五十年の月日が経っていた。果たして、メアリーは...という物語だ。

これもコナン・ドイルの持つ道徳観がにじみでているような作品だ。
人の強固な意思は非情な運命さえ乗り越えられるというような。

2018年10月20日土曜日

膚黒医師・ユダヤの胸牌/コナン・ドイル

「膚黒医師」 英語ではBlack Doctorとそのまま読むと、黒人の医師の話かと思うが、この物語では、インディアンの系統にありながら、容貌はヨーロッパ人的というイギリスの小さな村では目立つ風貌のラナ医師の話だ。

外科医としても内科医としても有能なラナ医師は独身で、大地主の娘と恋仲になり、婚約するが、海外から届いた一通の手紙を受け取った後、突然婚約を破棄する。そして、その数日後、ラナ医師は自宅で謎の死を遂げる。

真っ先に疑われ、容疑者となったのは婚約を破棄された娘の兄だったが、その兄の裁判で、娘は死んだはずのラナ医師が生きていることを告白する。

「ユダヤの胸牌」 胸牌というと、胸のプレートという意味もあるが、ここでは甲冑の胸当てのことである。博物館長に就任したばかりのモーティマーに、博物館の夜の見張りが一人しかおらず、盗難に遭わないよう警備を強化すべきだという謎の手紙が届く。しかも、その手紙の筆跡は、彼の前任者であり、ヨーロッパでも高名なアンドリーアス教授のものだった。

そして、その手紙の警告通り、何者かが博物館内に立ち入り、胸牌に埋め込まれた宝石を取ろうとしていた形跡が見つかる。しかし、宝石は盗まれず、残ったまま。そして、翌日も、別の列の宝石が取られようとしていた形跡が見つかるが、これも残ったまま。
モーティマーたちは博物館で寝ずの番をし、ついに胸牌の宝石に手をかける犯人を目撃する。その姿はアンドリーアス教授その人だった。

いずれも、高い身分にある職業人が関わる事件だが、凶悪性はなく、やむ得ない事情により犯罪めいた行為をしてしまう物語だ。
登場人物も下品な人物は誰一人おらず、紳士、淑女しかいない映画のような世界。




2018年10月16日火曜日

熊野川

自分にとって和歌山県というのは、全く空白の土地だった。
大阪、奈良、三重の下にあるこの県を訪れてみたくなったのは、やはり、中上健次の熊野集を読んだせいだと思う。

世界遺産の熊野神社の一つである熊野本宮大社は、紀伊半島下部の真ん中に位置していて、大阪から阪和自動車道で南紀田辺で降りても、三重から紀勢自動車道で尾鷲北で降りても、ましてや奈良から下っても、ずっと普通道路の曲がりくねった山道で真ん中に向かって走らなければ辿り着けない。

このアクセスの悪さのせいだろうか、道中、観光地化されていない雰囲気をところどころに感じた。

一番、印象に残ったのが熊野川だ。
熊野本宮大社に向かって走る道路沿いに、くすんだ水色の熊野川がずっと視界に入ってくる。
不思議に思うくらい、人影が少ない。
釣り人はたまに現れるくらいで、バーベキューなどしている人は皆無。

そして、熊野本宮大社の旧社地 大斎原大鳥居に行くと、より川の存在が迫ってくる。
神社も無い巨大な鳥居だけが建っているこの抜け殻のような土地のすぐ真横には、熊野川が流れている。

堤防も柵もない地面と同じ高さで流れている川。
人が運んだとは思えない様々な形をした自然の石ころが転がっている川洲を歩いていくと、静かに音もなくくすんだ水色の川が流れている。
普通、川の横にはススキなどの植物が生い茂っているが、この川にはない。
まるで、神社の境内の玉石のように石ころに囲まれている。
そのせいか、この川自体にどこか神聖な雰囲気がある。

明治二十二年の大洪水前まで、熊野本宮大社の社地は、熊野川の中州にあったというが、それがこの神社の本来の形なのかもしれない。




2018年10月13日土曜日

七瀬ふたたび/筒井康隆

この作品は、とても興味深く読んだ。作者特有のパロディ、ブラックユーモア気質が見られず、シリアスな仕上がりになっているからだ。

最初の「邂逅」で、テレパスの七瀬が雨の山間部を走る電車の車両の中で、三歳児のテレパシスト トシオと、予知能力者 恒夫と出会う話。

今にも脱線しそうなあぶなかっしい電車の中で、七瀬の超能力によって、あからさまになる乗客の厭らしい思惑や、テレパシスト同士の言葉を介さないコミュニケーションの様子が、括弧を応用した文章の構成で生き生きと描かれている。

「邪悪の視線」では、高級バーでホステスとして働く七瀬が、透視能力を持つ邪悪な男と対決し、危ういところをテレキネシスを持つ黒人のヘンリーに助けられる話だが、これもバーのホステスたちの敵意が見え隠れする関係、客の厭らしさ、透視能力を卑劣な悪事に使う男の欲望が生々しく描かれている。

「七瀬 時をのぼる」は、七瀬が、トシオとヘンリーとともに北海道に行こうとするフェリーの中で、タイムトラベラーの藤子と出会い、殺人事件に巻き込まれたことで彼らの超能力が気づかれそうになった危機を、藤子に救われるという話。

ここまで登場した超能力者たちが、「ヘニーデ姫」「七瀬 森を走る」の章で、警察を巻き込んだ超能力者狩りの組織から命を狙われることになる。
この組織については物語中、何も説明されていないことと、超能力者たちの能力を無力化できる力を持っていることが示唆されていて不気味な印象がある。

物語の最後は悲劇的だが、七瀬はとても魅力的なキャラクターなので、これ以外の小説を探したら、この小説がちょうど真ん中の「七瀬三部作」であったことにようやく気づく。

特に最初の「家族八景」を読んでいなくても、この小説からはじめて問題ないと思う。



2018年10月11日木曜日

時計だらけの男・漆器の箱/コナン・ドイル

「時計だらけの男」は、列車で起きた殺人事件を描いたミステリだ。
喫煙車両に乗った赤ら顔の男とその隣の客車に乗った背の高い男と、連れのこれまた背の高い女性。

駅に着いたところで、駅員がこの3人の乗客が消えうせた事に気づく。
そして、その代わりに見慣れない若い男が胸をピストルで撃ちぬかれ、死んでいることに気づく。

「消えた臨急」同様、この作品でも、名のある犯罪研究家による推理が新聞へ投稿されるのだが、その推理に対して上記3人のうちの一人がリスペクトするような返信を犯罪研究家に送り、真実が明らかになる。

この説明のなかで、ひときわ印象的なのが、カード使いのいかさま師 スパロー・マッコイの名前である。いかにも悪党らしい豪胆な名前のイメージがあるが、物語の中では実はそう悪い人間ではないのではないかという一面を見せる。

本当の悪人などいないという結末。読んでいて決していやな気持にならない。

「漆器の箱」は、妻を亡くし、孤独で容易に人を寄せ付けない貴族の家に住み込み、家庭教師を務めていた私が知った主人の秘密についての話。それは主人が宿泊先にも持っていくという黒い漆器の箱の中にあるらしいのだが。

当時の工業製品の普及状況がわかる作品だ。
そして、ここでも、本当の悪人は登場せず、むしろ隠れた美談を聞いたような気分になる。
漆器の箱が、英語ではThe Japanned Boxと表記されているのが面白い。



2018年10月10日水曜日

日本以外全部沈没/筒井康隆

これは、もちろん小松左京の「日本沈没」のパロディ小説だ。

地球温暖化で北極と南極の氷が溶け、ほとんどの陸地が水没する一方、大洋底マントルと大陸底マントルの交差点で押し上げられた日本列島だけが海の真ん中で陸地を確保している。

新聞記者の溜まり場だった飲み屋にも著名な外国人の政治家が顔を出し、パーティーや客引きに有名な外国人の女優が顔を見せる。

出てくる名前が古いが、今風に置き換えて読むことが可能だと思う。

シナトラ → トニー・ベネット
ポンピドー → マクロン
毛沢東 → 習近平
蒋介石 → 蔡英文
グレース公妃 → キャサリン妃
ニクソン → トランプ
金日成 → 金正恩
ブレジネフ → プーチン
エリザベス・テイラー → ミラ・ジョヴォヴィッチ
オードリー・ヘップバーン → ナタリー・ポートマン
クラウディア・カルディナーレ → エマ・ストーン
ソフィア・ローレン → ジェニファー・ローレンス

特に、地球温暖化とか、日本国に入国を許された外国人のうち3年経っても馴染めぬ者は国外追放だとか、ニクソンが「黒人を一人も船に乗せなかったのはお手柄だ」と言ったりするあたりは、今の世界状況に置き換えてみても違和感がないのが、ある意味怖い。


2018年10月9日火曜日

小説「私小説」/筒井康隆

この作品は、とても、よくできたパロディだと思う。

主人公の能勢灸太郎は、赤河馬派(アカカバハ)の巨匠で、私小説の大家である。
文芸時評で若い作家の作品に嘘があると評したことがきっかけで、若手の作家たちから、灸太郎の書く私小説がネタ切れで全く面白みがないものだと逆に批評されてしまう。

(補足:私小説とは、作家の実体験を事実そのままに書く作風のことで、明治以降の日本文学の主流となりました。上記の赤河馬派はもちろん白樺派のもじりです)

そんな中、新しい小説の依頼を受けた灸太郎は、浮気を経験して、それを基に小説を書くことを思いつく。
しかも、住み込みの若い女中を手籠めにしてしまうという方法で。

ここからは読んでのお楽しみだが、「私小説」とはいえ、必ずしも事実そのものを描くものではいということが、灸太郎の真面目くさった文章と、実際に起こった事実との対比で描写される“手籠め”のシーンで明らかになる。

しかし、極めつけは、灸太郎に全く逆らわない無口な妻の最後の一撃だろう。

「私小説」を批判する批評(吉田健一、丸谷才一など)はよく目にするが、「私小説」そのものを小説の中で取り上げ、その作家まで含めて、からかい倒すという作品は珍しいと思う。

2018年10月8日月曜日

消えた臨急・甲虫採集家/コナン・ドイル

「消えた臨急」は、小柄な中年男の依頼でリヴァプール駅を出発した臨時列車が、乗客2名、火夫1名、機関士1名、車掌1名を乗せたまま、線路上で消失してしまう事件。
この当時、お金さえ出せば、臨時で列車を走らせることも出来たというのが、まず面白い。

まるで、ホームズを思わせる町で著名な推理家の推理を紹介されたり、消えた列車の車掌が妻に宛てた手紙が紹介されるが、どれも直ちには真実に結びつかない。

やがて、別の殺人事件で逮捕されたフランス人の男の告白で、事件の真相が明るみになるのだが、パリの政治情勢などを巧みに織り込み、スキのない堅牢な推理小説になっている。
自分の能力と犯罪に絶大な自信を持っている犯人も、ホームズの変形キャラと言っていいだろう。

「甲虫採集家」は、医師で、身体強健、精神堅固、決断力旺盛にして、かつ昆虫学者特にカブトムシ学者なら可 という奇妙な求人広告に、金に困った医師が申込み、経験した奇妙な事件。

彼を雇った貴族らしい中年男は、特に理由を説明しないが、中年男の妹と思われる顔に傷を負った女性の夫のもとに連れていかれることがわかる。そして、その夫は有名なカブト虫の研究家だった...という話だ。

奇妙ではあるが、結末もほのぼのとしていて、「赤毛組合」を書いたコナン・ドイルらしい作品。




2018年10月7日日曜日

ビアンカ・オーバースタディ/筒井康隆

筒井康隆が書いたライトノベル。SF学園もの?である。
でも、さすがというか、過激な内容になっている。

美少女のビアンカは、生物研究部の部員で、ウニを使った生殖の研究にのめり込んでいたが、それにあきたらず、自分を恋い慕っている後輩の男子生徒の塩崎の精子を採取し、観察を始める。

そして、別の男子の精子をと触手を伸ばした生物研究部の先輩部員が、実は未来から来たことがわかる。彼の世界では食用家畜として生物を巨大化させる実験が行われていたが、体長50センチに成長したカマキリが逃げ出し、群れになって人間社会を脅かしていた。その巨大カマキリを退治するため、ビアンカは、未来のDNA技術を用いて、人の精子をカエルへ授精し、カエル人間を作り出すことを思いつく。

タイムトラベル、多元宇宙というSFお決まりの話も出てくる一方、剃刀で切り取ったヤクザの陰嚢を新聞紙で包んでくる生物研究部の部室に来る美少女が表紙にあるような可愛いイラスト入りで描かれているのが、こわい。

しかし、総じていえば、ちょっとしたビジュアルと肉体的な刺激で精子を搾り取られる男子生徒は弱弱しく、勢いのない精子しか作り出すことが出来ない男たちがいる未来社会は、現代よりはるかに衰弱したイメージで描かれており、ビアンカに代表される女性たちにこれからの時代がかかっているような雰囲気が印象的だった。

今の男子の草食ぶりと、反原発から原発への揺り戻し、結局、地球温暖化は止められなかった人類の行く末に対する皮肉めいた作者の思いが、このライトノベルから透けて見える。