2018年8月26日日曜日

文学部唯野教授のサブ・テキスト/筒井康隆

小説「文学部唯野教授」のおまけみたいな本で、唯野教授への100の質問とか、インタビューが収録されているだけと切り捨てようと思ったが、この本に収められている『ポスト構造主義による「一杯のかけそば」分析』は、読む価値がある作品だと思った。

一杯のかけそば」と言って、この作品を覚えている人はどれだけいるのだろうか。
この作品が今、安倍政権による道徳教育推進の最中でさえ、話題にすら上がらず消え去った事実が全てを物語っていると思うが。
*一方でモリカケというキーワードで変にシンクロしているのが面白い。

私は、この批評(パロディ)によって、「一杯のかけそば」を初めて読んだのだが、作者の田舎芝居的な表現、道徳観の押しつけがましさには辟易とさせられた。
(その突っ込みどころ満載のテキストだったから、ポスト構造主義による難解な批評の対象(パロディ)にもなり得たとも思うが)

まったく、この筒井康隆のパロディの対象になったことで、御蔵入りを免れたと言い切ってもいいだろう。

しかし、読み進めていくうちに、

「いかなる金持ちなっても最高のぜいたくはかけそばである」という、ハイデカー的思想が宣伝される。倹約、素朴、気づかいといった全体主義の謳歌。

といった批評や、登場人物の言動をファシズムと評する当たり、正鵠を得ているのではないかと思ってしまったのは、実はパロディと見せかけて、この作品の本質を炙り出した筒井康隆の真当な批評の力なのかもしれない。


2018年8月25日土曜日

聖痕/筒井康隆

聖痕とは、よくも付けたタイトルだと思う。

その象徴は、この物語でいえば、美少年ゆえに変質者によって切り取られた主人公 葉月貴夫の陰茎及び陰嚢の傷痕を指すのだろうが、その切除によって、色欲や闘争心、金銭欲から解き放たれ、平和に暮らすことができた貴夫の奇跡的な半生も指すのかもしれない。

貴夫は、自分の美貌に惹きつけられた人々と距離を置く。芸能プロダクションの誘いは断り、目立つことを避ける。性に向けられるはずだったエネルギーは、美食への研究に振り替える。そして、自分の周りに群がる多くの男女の欲望から身を守るように、その男女を結びつける仲人のような役割を果たす。そして、彼の周りには幸せな男女のカップルが集うことになる。

彼が、もし男子の機能を保持し続けていたなら、どうなっていただろう。
おそらくは、彼の弟妹の自我の強さ、欲望の強さをみれば、彼に欲望を抱いた複数の女性または男性と関係を持ち、その色恋に集中力を奪われ、彼が好きな料理の研究の道には進まなかったかもしれない。彼を憎み、嫉妬する人々も増えただろう。

また、彼の優れた知能を生かそうという金銭欲・事業欲が重なれば、バブル崩壊前に父や自分の投資資産の売却も勧めることもせず、大きな損失を抱えた不安定な生活を送っていたかもしれない。

物語の最後のほうで、東日本大震災の被災地の支援を終えた葉月家の慰労会の際、貴夫の友人で文芸批評家の金杉が、「この災害と原発事故で科学秘術文明と資本主義経済の破綻が起こっていることは間違いない。これからは、リビドーやコンプレックスの呪縛から脱した高みで論じられる、静かな滅びへの誘い、闘争なき世界へと教え導く哲学や宗教が必要となってくる。その教義はおそらく今まで葉月が実行してきたことと合致する筈だ」と述べるのだが、この物語のまとめとしては軽すぎる。
(弁護的に言えば、金杉は貴夫が払った代償の大きさを知らないから、こんな事がいえるのかもしれないが)

葉月貴夫が、妹に瓶にホルマリン漬けにされた自分の陰茎について尋ねられ、「それがぼくの贖罪羊(スケープゴート)だったんだよ」という言葉にこそ、この物語が持つ痛烈な人間性への批判が隠れているのかもしれない。
例えば、性の喜びに代表される人間の欲望を、それにとどまらず生物の本能ともいえる生殖機能の喪失を犠牲にしても、平和で静かな世界を選択することが、あなたにはできるだろうかと。


*作品の中で散りばめられた多数の古語(造語?)は、唯野教授の講座で解説があったロシア・フォルマリズムの「異化」を意識したものなのだろうか。

2018年8月19日日曜日

文学部唯野教授/筒井康隆

哲学書のコーナーで、なぜか筒井康隆が書いたハイデガーの「存在と時間」の解説本「誰にもわかるハイデガー」があった。

難解なハイデガーの思想が洒脱な文章で書かれていて、ついつい読み切ったのだが、この本を書いた背景として、筒井康隆が1989年ごろ、胃に穴が空いて下血して死の存在を意識していたことと、この本の執筆の契機および病の原因だったのが自身の作品「文学部唯野教授」であることが分かった。

ということで、「文学部唯野教授」を同じく読み切ってしまったのであるが、1990年、いわゆるバブル崩壊の前夜に、文芸批評と大学教授と小説家の関係をベースとしたパロディ、風刺小説が筒井康隆によって書かれていたことに、まず驚いた。

物語は、早治大学の文学部教授の唯野が、親友の牧口を別の大学の文学部教授になれるよう働きかける中、大学という機構にはびこる様々な奇習・悪習、そして人格も教養もないが自己保身術と経済活動にいそしむ教授連の姿が、これでもかというほど明け透けに描かれている一方で、唯野が非常勤講師を務める立智大学の文芸批評論の講座が、軽妙な語り口で展開されている(ただし、内容はハイブロウ)。
目次が、唯野の講義の題目になっているのも面白い。

第1講 印象批評
第2講 新批評
第3講 ロシア・フォルマリズム
第4講 現象学
第5講 解釈学
第6講 受容理論
第7講 記号論
第8講 構造主義
第9講 ポスト構造主義

文芸批評論が、ここまで文学以外の学問(主に哲学)に影響されたものだとは知らなかった。

しかも、その理由が「批評家が言われることをいちばん嫌うことばは『そんならお前が小説を書いてみろ』なんだけど…批評家がどうしても作家に勝とうとするため、権威のある批評の方法を文学以外のところにある難しい理論から持ってきて、こんな難しい理論だから、お前ら反論できまいってわけ...中には勉強して反論してくる作家もいる。そこで批評家の方は、これはいかんっていうんで、もっと難しい理論を持ち出してくる。批評はどんどん難しくなっていくのは当たり前だよね」という説明には、笑ってしまう。

唯野がペンネーム野田耽二で密かに書き続けていた小説が芥兀賞を受賞することがきっかけで炸裂する主任教授(批評家)の小説家となった唯野に対する狂気じみた憎悪も、うなづけてしまう。

なお、物語の最後では、唯野教授が、夏休み明けの後期の講義日程を話している。
その中では、フェミニズム批評、精神分析批評、マルクス主義批評、唯野自身の理論「虚構理論」が展開されることが述べられている。
これらについては、まだ読んでいない他の関連作品『文学部唯野教授のサブ・テキスト』、『文学部唯野教授の女性問答』などで語られているのだろうか?


2018年8月6日月曜日

極北/マーセル・セロー 村上春樹 訳

ストーリーもよく分からず、読み進めてしまったが、読後感が湿った雪のように、ずっしりと残った。

シンプルに言えば、メイクピースという名の主人公が、放射能で汚染され、文明の力をなくした世界で、たくましく生きる姿を描いた作品だ。

物語は、2009年に書かれており、チェルノブイリをイメージしているのが感じられる。
時代も近未来に設定しているので、ゾーンと呼ばれる立入禁止区域にある都市ポリン66は、今の時代にはない高度な文明都市の廃墟だ。

3.11以降の福島とは異なる印象を覚えるが、線量計を持たされた作業者や、誰も人が住まなくなった土地の描写から感じる印象は重なるものがあった。

しかし、放射能で汚染された世界だけを虚無的に描いている作品であれば、私は正直嫌になって読むのを途中で止めていたと思う。

この作品で何度も絶望の淵に立たされながらも、力強く生きていくメイクピースに惹かれ、彼女の行く末を確かめたかった。
そして、最後のシーンで、ほっとした気持ちになった。

2018年8月5日日曜日

村上RADIO~RUN&SONGS~ /Tokyo FM 2018年8月5日 19:00 ~19:55

Tokyo FM 19:00 から流れていた村上春樹のラジオ番組、面白かったです。

曲のバラエティもさながら、曲の途中で平気で解説をぶち込んでくる粗っぽいけど、分かりやすい進行がよかったな。

村上春樹の声は、講演の時のイメージとは違って、こういう音楽番組に向いているのではと思うくらい、ソフトな感じだった。

ドナルド・フェイゲン
ブライアン・ウィルソン  ディズニーの歌とサーフィンUSA
キング・プレジャー
エリック・バードン、アニマルズ
ペットショップボーイズ
What A Wonderful World のアップテンポ版

ジョージ・ハリソン Between The Devil And The Deep Blue Sea
この曲と同じ名前の戯曲を読んだというきっかけが、いかにも村上春樹らしいが、晩年のジョージ・ハリソンってこんな感じの曲を歌っていたというのは意外。

ボブ・ディランのカバー

ホールアンドオーツ アース・ガールズ・ア・イージー で、
こんなくだらないサントラを買うのは僕しかいないでしょうというコメントと、

ドアーズ ライトマイファイアのカバー の
神宮球場で始球式をやるときに、ライトマイファイアをかけたいが、呼んでくれないというコメントが笑えた。

村上春樹は、ipodに1000から2000曲入れて、7つ持っているそうですが、これらを聴きながら走っているそうです。

難しい曲(曲調が複雑に変わるもの)ではなく、口ずさめるストレートな曲調のものが、走るのに聞くのは向いているそうです。

文章を書くのも、下半身が安定しているのが大事で、下半身が安定していると上半身が柔らかくなり、2,3時間ぶっ続けに座り続けて文章を書くことができる、という持論も面白かった。

音楽から文章を学んだので、リズムのよさを意識しているという言葉も印象に残りました。

この番組、また、やってほしい!
今度は、クリスマスのあたりで。