2026年8月2日日曜日

夏帆/村上春樹

 この小説は、4つの章で構成されているが、一章と二章だけでも短編小説として成り立っているように思う。

一章はモーターサイクルに乗った夏帆を侮蔑した佐原という奇妙な男との出会いの話、そして、二章は「ありくいの夫婦」からその「モーターサイクルに乗った男」からの危険を回避するため、武蔵境への引っ越しを迫られ、ありくいの夫婦の天敵であるジャガーに憑依されてしまった「とぎや」の主人を救う話。

しかし、三章と四章が追加されたことで、一章と二章を含めた物語全体が、一挙に夏帆と母親の関係に横たわっていた根深い問題に夏帆が立ち向かっていった物語として完結する。

このダイナミックな物語の変容が、この小説を読んでいて最も興味深いところだった。

この物語は読み手によってさまざまな解釈ができる物語だが、わたしは、夏帆が自身も想像していないくらい、心の底ふかく母親を憎んでいたのではなかったかと考えている。

自分とは全く違う世俗的な価値観で夏帆の父親と結婚し、夏帆を生んでも彼女の存在や本質的な部分を愛し、認めることはなかった母親。

三章で、佐原から「君は深い意味を持つ境界線をひとつ踏み越えてしまった」と言っていたが、それ(母親への憎しみ)はおそらく一章で夏帆が恋人との関係を断ち、沈み込んでいた時期に夏帆の心の中で噴き出したものだったのかもしれない。

その憎しみは夏帆を救いようもない世界に連れ込んでいた。
モーターサイクルに乗った守護天使の佐原が最初に夏帆に会ったときに言った、
「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだよ」
ということばは実はその時の夏帆をありのままに的確に捉えていたものだったのかもしれない。

夏帆は、無意識に佐原のことばの意図を正しく理解していた。
そして、彼女は自分を変えるために、絵本の物語を作る中でそれを表現し、少しづつ現実世界に反映しようと努力していた。

最初は、一人の少女が自分の顔を探しに行く物語、
次に、ありくいの夫婦が邪悪なジャガーを倒す物語、
そして、最後は森で家族と離れてしまい迷子になった少女が象に押しつぶされる物語だ。

夏帆は分かっていた。自分は象に押しつぶされ生まれ変わらなければならないことを

彼女が最後、縁側で泣き続けたシーンが心に残る。
そして、
「ねえ、みんなそうやっていつかはいなくなってしまうのよ」
という母親のことばはこの物語の中でもっともせつない印象を受ける。

夏帆は「私は昨夜、実際にこの人を殺してしまったのかもしれない」
と言っていたが、夏帆が全身全霊をかけて向き合い和解をはたした母親のこのことばにはしずかな「老い」を感じる。
それは問題を解決した際にイメージしていた母親のことばとしては、夏帆はまったく想定していなかったものだったのかもしれない。

そして、そのことばは、彼女を助け続けようとした守護天使や「とぎや」の主人、動物たちとの別れにもつながっている。
この村上春樹の小説でいつも感じる「喪失感」が夏帆の涙でイメージされていて、美しいラストだ。

PS:
夏帆を佐原とのブラインド・デートに誘った編集者の町田さんも守護天使ですよね。
こういう何気なく助けてくれる人の存在は大事だと思います。