2020年6月28日日曜日

蓼喰う虫/谷崎潤一郎

この作品は『卍』の創作の翌年に書かれている。
そのこと自体が谷崎の小説家としての力量が格段に飛躍した時期であることが分かる。

『卍』が関西の女性の派手で過剰な言葉遣いと異常な同性愛を扱っているのに対し、『蓼喰う虫』は関東のクールな話し言葉を基調に、子供と舅と叔父が登場する普通の家庭の夫婦の不和を扱っており、実に対照的な印象を受ける。

『蓼喰う虫』は実に微妙なバランスを保っている作品である。

主人公の要は、妻には全くのセックスレスなため、朝鮮人とロシア人のハーフのルイズという外国人娼婦と定期的に寝ているが、一方で舅が妾にしているお久のまるで日本人形のような和の魅力にも目覚め始めている。

妻の美佐子を阿曽という別の男に譲るというある意味異常な行為も、両親の離婚の危機を感じる子供の弘や、二人の仲を修復しようとする高夏と妻の父親の存在で中和されている。

要がアメリカの映画を好みながらも、義父が好む人形芝居に面白みを見つけ、その奥深さや一種の懐古主義に魅力を感じているところも面白い。

この和と西洋、関東と関西、異常と正常の世界を行き来しつつ、微妙なバランスを保ちながらというか、まるで綱引きの双方の力が拮抗したかのように静かな緊張感に満ちている。
その緊張感は、一見普通を装っている夫婦が別れるのか、別れないのかという複雑な人間関係にも共通していて、まるで現実であるかのように登場人物の精緻な感情の駆け引きが静かに描かれている。

谷崎がこの後『吉野葛』『盲目物語』と日本文化に帰依する作風に舵を切っていったことを考えると、まさにこの『蓼喰う虫』はその分岐点にあった作品だったのかもしれない。


2020年6月27日土曜日

映画「Contracted」と「Thelma」

コロナ禍で家にいたとき、やることもないので映画をやたらと見た。
その時に不思議と心に残ったのがこの「Contracted」と「Thelma」だ。
どちらもレズビアンの主人公だ。

「Contracted」は、契約という意味ではなく、感染するという意味だ。
なぜ、そんな映画を見てしまったのか分からないが、やはり感染症に敏感になっていたからだと思う。
ただ、映画は相当気持ち悪いシーンが続くので、気の弱い方は見ないことをお勧めする。

サマンサというレズビアンの女性が、友達のアリス(この女性もレズビアン)が主催するパーティーに、最近別れた恋人のニッキを電話で誘うのだが来てもらえず、一人でいたところを行きずりの男に話しかけられ、お酒に薬を入れられて、車の中でレイプされてしまう。そのセックスが原因で、サマンサは性病に似たゾンビ化する病気に感染してしまい、グロテスクな症状が発症しはじめるという物語だ。

とにかく、感染した人間というものは、どこでどんな風に感染したのかを正直に医者にも説明しないし(今回の場合、明らかに性的被害者なのだが)、気が動転するとさらに人に感染させる行動をとってしまうという典型的なパターンが描かれている。

ただ、面白いと思ったのは、アリスがサマンサを酔わせようと強い酒を飲ませるやり取りや(アリスはサマンサと寝たいと思っている)、ニッキがレストランでサマンサをナンパしてきた男性に対して「あんたがそこにぶら下げている器具は働かないんだよ(you're not working with the right equipment down there.)」とガラの悪いセリフで撃退するところだ。
サマンサが母親に自嘲気味に自分はdyke(レズビアンの俗語)だというところも、言葉の意味を初めて知った。
全般的にガラの悪い英語が多く、アリスは「fucking」をやたらと使うし、「Holy shit」という言葉も意味を考えると面白い。

「Thelma」は、「Contracted」よりははるかに上品な映画で、まず、主人公のテルマが行くオスロの大学のキャンパスの風景がきれいで静かな雰囲気で描かれている。話す言葉もノルウェー語で聞いていていかにも北欧という感じを受ける。

両親に厳格に育てられたテルマには超能力があり、それを心配した両親が厳格に育てたせいで、人との交際も遠慮がちなテルマであったが、アンニャという同級生と知り合い、少しずつ打ち解けていく。そして、アンニャと両想いになってしまうという物語だ。

こちらは、いかにも自然と両想いになってしまった二人の女性のやり取りが描かれていてる。観劇中にアンニャに膝を触られて恍惚感を覚え動転してしまうテルマの様子や、初めてのキスシーンなんかは、ちょっとリアルな印象を受けた。

物語の最後は意外な形で終わるのだが、自由を獲得したテルマが幸せそうでポジティブな印象を受ける。

「Contracted」と「Thelma」を同列で論じてしまうのは多少無理があったと思うが、レズビアンの世界も面白いなと思った。

2020年6月26日金曜日

卍/谷崎潤一郎

谷崎四十二歳の時に発表された、実に野心的で力に満ちた作品である。

四十歳で関西に移住し、そこでおそらくは全身で感じたであろう女性の魅力的な関西弁の話し言葉。彼にとっては実に新鮮だったに違いない。

二人の女性 園子と光子の間で交わされる愛憎に満ちた会話は、上方言葉によって、あざといと感じるくらいの女らしいにぎやかさと愚かさを感じさせる。

これを例えば東京言葉で表現したら、作品の魅力は半分ぐらい消し飛んでしまうのではないだろうか。

とにかく、谷崎が楽しくて楽しくて仕方がないというくらいの勢いで書いたのではないかと思われるほど、前半の二人の会話は活き活きとしている。

しかし、この作品は中盤から少しずつ影が濃くなってくる。
それは、他愛もない自分の恋愛に関する約束事を契約条項のような文言に仕立てて誓約書に書き、自分の恋人やその恋人を取り合う相手に署名させ、時には血判を押させて、相手の考えや行動を束縛しようとする綿貫という病的な男の影である。

そして実は綿貫より徹底的に恋愛に束縛と隷属を求めていたのは光子だったという結末は、読んでいてぞっとするような気分になるのも事実だ。
前半の一見明るさに満ちたやり取りの後ろに、こんなに濃い影が潜んでいたのかという思いがする。

まるで「陰影礼賛」のような話だが、二人の女性や男との性的な描写も間接的に仄めかす程度に抑えているのも、この作者らしい。

今は何でも赤裸々にしてあっという間に興が冷めるが、実はこういう隠し方が想像力を刺激する一番淫靡なやり方だと思う。



2020年6月13日土曜日

ポゼッション 1981 / アンジェイ・ズラウスキー

この映画、何年かに一度は無性に見たくなる映画で、一度見出すと止まらなくなってしまう。

イザベル・アジャーニの演技がすごいのもあるが、音楽、街の風景、その他の俳優(特にハインリッヒ役の人)がいい。

まだベルリンの壁がある冷戦の雰囲気が漂うおそらくは西ドイツの街並みもいい。
この映画から漂ってくる80年代前半の雰囲気が好きなのかもしれない。

ストーリーは何度見ても理解できない。
最初は夫婦の不和の話が、グロテスクな怪物の話になり、世界の終わりを彷彿させるラストへと変容していく。ただ、物語の疾走していく感覚が見ていて心地よい。

イザベル・アジャーニは、この映画のころ、二十五歳だったと思われるが、最も美しい盛りに出演した、最もグロテスクな映画なのかもしれない。