2026年10月18日日曜日

1Q84/村上春樹

 2010年に刊行されたこの小説を、恥ずかしながら、ようやく読み終えた。
Book1の途中で読むのを止めてしまっていた。

「さきがけ」と「あけぼの」の話のあたりが、中核派やオウム真理教をイメージさせるような内容だったのがなんとな敬遠してしまったのだと思う。

しかし、BooK3まで読み終えると、村上春樹の作品の中でも非常に読み応えのある物語だったという印象を抱いた。


まず、1984年という年が興味深い。ジョージ・オーウェルの「1984年」を想起させるし、まだ世界に希望が残っていた時代のように思える(今思うと)。
物語の中で、クイーンとアバの悪口が出てくるのも楽しい。

個人的には、ひょんなことから
いくつかの謎は残っている。
・天吾が付き合っていた人妻 安田恭子はどうなってしまったのか。彼女は天吾の母親との関係はあったのか?
・青豆の友人であった婦人警官 中野あゆみは「さきがけ」の刺客に殺されたのか?
・牛河はなぜ二つの月を見れたのか?

「カンガルー日和」に収録されていた短編「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」をベースにした小説であることは知っていたが、

2026年8月2日日曜日

夏帆/村上春樹

 この小説は、4つの章で構成されているが、一章と二章だけでも短編小説として成り立っているように思う。

一章はモーターサイクルに乗った夏帆を侮蔑した佐原という奇妙な男との出会いの話、そして、二章は「ありくいの夫婦」からその「モーターサイクルに乗った男」からの危険を回避するため、武蔵境への引っ越しを迫られ、ありくいの夫婦の天敵であるジャガーに憑依されてしまった「とぎや」の主人を救う話。

しかし、三章と四章が追加されたことで、一章と二章を含めた物語全体が、一挙に夏帆と母親の関係に横たわっていた根深い問題に夏帆が立ち向かっていった物語として完結する。

このダイナミックな物語の変容が、この小説を読んでいて最も興味深いところだった。

この物語は読み手によってさまざまな解釈ができる物語だが、わたしは、夏帆が自身も想像していないくらい、心の底ふかく母親を憎んでいたのではなかったかと考えている。

自分とは全く違う世俗的な価値観で夏帆の父親と結婚し、夏帆を生んでも彼女の存在や本質的な部分を愛し、認めることはなかった母親。

三章で、佐原から「君は深い意味を持つ境界線をひとつ踏み越えてしまった」と言っていたが、それ(母親への憎しみ)はおそらく一章で夏帆が恋人との関係を断ち、沈み込んでいた時期に夏帆の心の中で噴き出したものだったのかもしれない。

その憎しみは夏帆を救いようもない世界に連れ込んでいた。
モーターサイクルに乗った守護天使の佐原が最初に夏帆に会ったときに言った、
「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだよ」
ということばは実はその時の夏帆をありのままに的確に捉えていたものだったのかもしれない。

夏帆は、無意識に佐原のことばの意図を正しく理解していた。
そして、彼女は自分を変えるために、絵本の物語を作る中でそれを表現し、少しづつ現実世界に反映しようと努力していた。

最初は、一人の少女が自分の顔を探しに行く物語、
次に、ありくいの夫婦が邪悪なジャガーを倒す物語、
そして、最後は森で家族と離れてしまい迷子になった少女が象に押しつぶされる物語だ。

夏帆は分かっていた。自分は象に押しつぶされ生まれ変わらなければならないことを。

彼女が最後、縁側で泣き続けたシーンが心に残る。
そして、
「ねえ、みんなそうやっていつかはいなくなってしまうのよ」
という母親のことばはこの物語の中でもっともせつない印象を受ける。

夏帆は「私は昨夜、実際にこの人を殺してしまったのかもしれない」
と言っていたが、夏帆が全身全霊をかけて向き合い和解をはたした母親のこのことばにはしずかな「老い」を感じる。
それは問題を解決した際にイメージしていた母親のことばとしては、夏帆はまったく想定していなかったものだったのかもしれない。

そして、そのことばは、彼女を助け続けようとした守護天使や「とぎや」の主人、動物たちとの別れにもつながっている。
この村上春樹の小説でいつも感じる「喪失感」が夏帆の涙でイメージされていて、美しいラストだ。

PS:
夏帆を佐原とのブラインド・デートに誘った編集者の町田さんも守護天使ですよね。
こういう何気なく助けてくれる人の存在は大事だと思います。

2024年10月19日土曜日

詩歌川百景 4 /吉田秋生

お葬式でドラマが起きるという流れは、前作の海街でもそうだったが、詩歌川の物語でも、やはり起こる。

幼い和樹と義弟の守を育ててくれた飯田の叔母が亡くなり、葬式に訪れる人々に接し、和樹は自分と守が、こんなにも多くの人たちに支えられていたということに気づく。

一方で、だらしない実母に引き取られ、性格がすさんでしまった義弟 智樹が和樹の前に現れ、自分の義姉(鈴)と守を傷つけようとする言動に激昂した和樹は智樹を殴ろうとしてしまう。

その自分の行為に深く傷ついた和樹を、妙はやさしく抱きしめる。
この物語で二人がもっとも近づいた場面だと思う。

しかし、この物語で、妙は、何度、”ことば”にしなくてもよいと思うような場面で、明確に”ことば”にして、和樹と守を癒し、肯定し、救ってきたのだろう。

これは、もう一人の精神的メンターである林田(リンダ)が言うようにPieta(慈悲)としか、言いようがないけれど、妙にとっては、和樹が大事な存在であることがよく分かる場面だ。

妙が守に語った11才の時に「河童淵」で見た河童とは、和樹のことなんだと思う。

妙が死のうとして飛び込んだ「淵参り」で、自分を救ってくれた和樹。
それは、妙にとっては恋だったのか、Pietaだったのか。

個人的には前者だと思う。ひょっとしたら妙自身も気づいていない。