この作品は、ある意味、分かりやすい。
「神は死に、一切が人類の手に与えられた今、」は、明らかにニーチェの影響があるし、「しかし、僕の訴訟はなかなか捗らなかった」は、カフカの「審判」を思い起こさせる。
それに、主人公の僕が行き来する二つの町。一つは僕が現在住む「必然性と可能性を信用貸で両替できる」現代の都市(おそらく日本)。
もう一つは河向こうの下町(おそらく安部が過ごした満州奉天市)が舞台だ。
主人公の僕の罪の意識には、おそらくは中国での侵略者としての日本人の意識があり、それが故に、敗戦国である日本の被害者意識を持つ日本人の町の中では「異端者」になってしまう。
また、下町で、僕が僕に付きまとう名誉市長X(僕自身)を殺そうとしても殺せなかったのは、消せない戦争の事実のようにも思える。
その僕が正式な裁判を受けられずに、瘋癲病院に入れられてしまうのは、戦争責任を自ら裁けなかった日本という国を象徴しているようにも思えるし、
「臆病…猜疑心…へっぴり腰…君たちの矛盾と、不安のかくれもない証拠…」と最後に嘲笑している対象ば、敗戦後の日本人の姿のようにも思える。
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