原題は"The STABLE Boy of Auschwitz"。 ”STABLE Boy”が厩舎の少年という意味だとは知らなかった。
この一見おだやかな言葉にアウシュヴィッツの文字がついていなければ、スルーしてしまいそうなくらい平和的なイメージが浮かぶ。
しかし、この本で書かれているのは、ヘンリー・オースター氏の経験、ビルケナウ、アウシュヴィッツ、ブーヘンヴァルトという三つの強制収容所を十代前半の少年が生き延びてきた過酷な記録である。
私は、なぜ、ヘンリー・オースター氏は、これだけ過酷な環境を生き延びることができたのかということが、まず知りたかった。
十代前半にしては、身長が高く健康そうに見えたこと、ドイツ語が話せたこと、スープの配給の際もどの辺りに並べば野菜を自分のボウルに配ってもらえるか考えること、突然のナチ党の襲撃が来た際に身を隠すことができる隠れ場を見つけていた危機管理能力、他人を迂闊に信用せず、重要なことをしゃべらないこと、いかに衛兵や班長に目を付けられずに幽霊のように振る舞うことなど…
こう書くと、彼が抜け目のない冷徹な人間のように見えるし、実際、この本は彼の証言に基づいて書かれているので、彼自身がドイツ兵を含めた他人からどう見えていたかは書かれていないが、間違いなく彼には他人から信頼され、愛されるべき性格の持ち主だったことが伺える。
ブーヘンヴァルトに移送され、気持ちが切れそうになった時、ドイツ人作家の囚人ゲオルクから「諦めるなよ」「何としても持ちこたえるんだ」と声を掛けられ、そしてその言葉を信じ、頑張ることができたことからもうかがえる。
それは、不当に死に追いやられた彼の父親と母親が彼を愛し、人としての基礎をしっかりと作っていたからだろう。
2011年にドイツのケルン市が主催した強制移送七十周年行事のスピーチで、彼はこう述べている。
…憎しみは憎しみを生むだけです。寛容こそが、すべての人種の人々が目指すべき未来の目標です。過去の加害者たちは寛容を目指すべきでした。そしてその犠牲者たちもまた寛容を目指すべきなのです。
私は、この本を読んで、改めて、現下のイスラエルのことを思わざるを得なかった。
このヘンリー・オースター氏が経験したような地獄を、かつては犠牲者であったユダヤの人がガザやレバノンの子供たちを含む一般市民に対して繰り返すことに、一体どんな歴史的な学びを見出すことができるのかと。
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