2020年2月23日日曜日

モンテ・フェルモの丘の家/ギンズブルグ 須賀敦子 訳

イタリアでの生活を捨て、アメリカに行こうとするジュゼッペを中心に、彼の元恋人 ルクレツィア、彼女の夫 ピエロ、従姉妹のロベルタ、彼の息子 アルベリーコ、彼の兄 フェルッチョ、友人のアルビーナ、エジストとの、それぞれが互いに異なる相手に手紙をやり取りするのだけれど、つながった糸が作ったまるで蜘蛛の巣のように物語が浮かび上がる。

そして、そこで描かれる人々は、決して生き方が器用とは言えない。
親しい友人たちを置いて、住み慣れた我が家を捨てアメリカに行くジュゼッペ。
皆のかけがえのない家だった《マルゲリーテ》を壊す原因を作ったルクレツィア。
けれど、決して憎めない暖かい人たち。

物語は後半、思いがけない方向に進む。
最初は、大した人物ではないと思われたジュゼッペの息子 アルベリーコや、彼の恋人サルヴァトーレ、フェルッチョの妻の娘 シャンタルといった脇役がドラマチックな展開のトリガーをはたしているのも面白い。

作者はこの作品に関して「小説を書くときはいつも、粉々になった鏡を手にしているような感覚で、それをなんとかひとつの鏡にしあげたいと願って書き進める。...けれども今回ばかりは、はじめから願いも何ももたなかった」と言ったそうだが、はたしてそうだったろうか。
大きくはないけれどくっきりとその鏡の一片を取り出すことができたのではないだろうかと、ルクレツィアの最後の手紙を読んで思った。

「都市と家」というシンプルすぎる題名に、《マルゲリーテ》のあった「モンテ・フェルモの丘の家」という温かみのある題名をつけた須賀敦子もすばらしい。


2020年2月2日日曜日

掃除婦のための手引書/ルシア・ベルリン

読んでいて、記憶に突き刺さってくるような作品が多い。
読んだ後で、場所と人物と一つの光景がふっと浮かび上がってくるのだ。
ストーリーではなく、映画のワンシーンのような。

例えば、コインランドリーをテーマにした短編。
わたしはインディアンたちの服が回っている乾燥機を、目をちょっと寄り目にして眺めるのが好きだ。紫やオレンジや赤やピンクが一つに溶け合って、極彩色の渦巻きになる。(エンジェル・コインランドリー店)
「百年」男がぼそっと言った。「百年だとよ」わたしも内心同じことを思った。百年。わたしたちの洗濯機が体を小刻みに揺すり、脱水の小さな赤いランプがいっせいにともった。(今を楽しめ)
あるいは救急救命室の看護師の仕事。
頑としてストレッチャーに乗ろうとしないので、わたしがキングコングみたいに抱えて廊下を運んでいった。彼はおびえて泣いて、涙でわたしの胸が濡れた。(わたしの騎手)
個人的には、「喪の仕事」 が記憶に突き刺さった。
掃除婦として亡くなった老人の家の片づけをする話なのだが、老人の息子と娘とやり取りしながら遺品を整理していく過程が面白い。その人の死を不思議と強く感じる場面なのかもしれない。
どちらにしても悲しいのは、あっという間にすべてが済んでしまうことだ。だって考えてもみて。仮にあなたが死んだとして、あなたの持ち物をぜんぶ片づけるのに、わたしならものの二時間とかからないのだ。
(喪の仕事)