安部公房の処女作であり、彼が終戦時期を過ごした満州での出来事、日本と満州という2つの故郷に対する思いが感じられる作品だ。
場所は、中国東北部の満州。ただすでに日本の敗戦が伝えられており、満州国は崩壊しようとしている。肺結核に冒され、苦痛しのぎのために使いはじめた阿片の常習により、すでに主人公は外出もままならないほど体力を落としている。しかし、その主人公が唯一行う能動的な行為がノートに文章を書くことだ。
実際、本作品は、以下のような構成で、主人公が書いたノートの内容によって物語が展開していく。
1)「第一のノート終りし道の標べに」
2)「第二のノート 書かれざる言葉」
3)「第三のノート 知られざる神」
4)「十三枚の紙に書かれた追録」
そのノートでは、主人公のこれまでの(日本からの)逃走生活が書かれているのだが、過去から現在に戻ったり、過去からさらに過去に戻ったりと複雑な移動を感じる。
そして、ノートを書いている自分と、主人公が寝ている粘土塀に囲まれた部落の外へとつながる門に立つもう一人の自分が幽体離脱のように分離する場面も印象的である。
日本に戻りたいのか、満州に戻りたいのか、戻れないのか、どちらの故郷にも戻りたくないのか、そういった非常に複雑な感情の葛藤が主人公の中に生じる様子が感じられる。
軍国主義の日本にも居場所がなく、中国の匪賊にもなり切れない。
本書は戦後三年後に出版されているが、当時の安部公房の思いがある意味ストレートに表現された作品ともいえるものなのかもしれない。
最後のほうで、主人公が測量技師であるという一文がさりげなく書かれているが、これはカフカの「城」の影響だろうか。
「城」では、主人公Kが近づこうとしても、いっこうに辿り着かず、遠ざかっていく「城」が描かれており、本書における「故郷」との相似を感じた。
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