庄野潤三という作家の名前は、村上春樹の唯一の批評集?「若い読者のための短編小説案内」で取り上げていた「第三の新人」の一人というくらいの認識しかなかった。
ずいぶん前に読んだ本で、丸谷才一の「樹影譚」の強烈な印象しかないが、確か、庄野潤三については「静物」を取り上げていたと思う。
神奈川近代文学館で、作家の人柄など見ると、ものすごく周りの人々に愛されていたことが分かる人で、これは自分の好きな作家ではないなという印象を抱いてしまった。
正直、須賀敦子が、本書を取り上げて、
「日本の、ほんとうの一断面がある。それは写真にも、映画にも表せない、日本のかおりのようなものであった」
と称したことばを見るまでは、この作家の本を読もうという気にまではならなかった。
そして、読んでみた。
遅読の私としては、めずらしく数時間で読み終えてしまった。
これは、確かによい本だというのが感想だ。 その良さは、なんというのだろう、今の日本ではもう見られないような、「ちゃんとした家族」の生活を、しっかりと描き切っている点にあると思う。
たぶん私の世代より前の人(1960年代)の人が読んだら、すごく懐かしく感じるのではないかと思う。(私にも少しそういうノスタルジーが感じられた)
思わず、くすっとするような家族の習慣が描かれていて、あぁ、そうそう!とあいづちを打ちたくなってしまうようなエピソードが続く。
今まで読んだ作品の中で、似たような印象を感じたのは、向田邦子の「父の詫び状」と須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」などの作品群だろうか。
作者の実際の生活・思い出を描いたエッセイのようでもあるが、小説のようにも感じるという点も似ている。
須賀敦子が、この作品を気に入った理由がよくわかる。
でも、ここに書かれていた日本の家族の姿形は、今はもうすっかり変わってしまったような気がする。
それは、この小説の舞台である川崎市の生田の風景が、集合住宅建設のために木々が伐採されていく姿と同じような変化を受けたのだと思う。
そう考えると、この小説は、小津安二郎の映画で描かれた崩壊していく日本の家族の姿と少し重なる部分がある。
少し切ないようにも思うが、読んでいて幸せな気分にしてくれる作品であることは間違いない。
急いで読んでしまって、少し損をしたような気分にさせる作品は、何年振りだろう。 寝しなに、毎日少しずつ読めばよかった。
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