2024年6月2日日曜日

ノイエ・ハイマート/池澤夏樹

久々に、池澤夏樹らしい本を読んだ気がする、と書くのは失礼なことだろうか。
しかし、私にとっては、日本を外側から見る意識を持ち、常に弱者の視点から語る作家だという印象が強い。

しかも、この本はシリア、アフガニスタン、カンボジア、セルビアといった国を追われた人々(それを難民というのか)を取り上げていて、自然と、ウクライナ、ガザの人々と重なるイメージをもってしまう。

ただ、それは、池澤夏樹の個人的なパイプを通じて得られた情報に基づいているという印象を受ける。日本のマスコミがほとんど伝えない現地の人々の「生き延びる」ための姿だ。

そして、かつて日本人も「難民」を経験したことがあるという事実を一つの短編で提示する。第二次世界大戦末期、満州に取り残され、ソ連の兵士たちの暴力に怯えながら、日本国にも見捨てられた人々は確かに「難民」というほかない。
日本にいると、難民という言葉をひどく遠い国の人々のように感じてしまうが、ひとたび戦争が起きれば、難民になることは他人ごとではなくなる。

この本は、19の章から構成されているが、主軸となる小説は、主人公の至(イタル)という日本人のビデオジャーナリストと恋人の妙子、至のジャーナリスト仲間のシリア人のラヤンである。
ラヤンは、同じシリア難民の国外脱出から難民申請まで当事者たちと行動するのだが、その道中は、運という要素に大きく左右される。
一番の危険は、業者が操るソディアックボートでトルコやギリシアに渡る時だろう。実際、船が強い風などで転覆し、命を落とした子供や女性の話がこの本でも取り上げられている。
そうした決死の旅をして、難民申請することまでたどり着ける人々はどのくらいいるのだろうか。

イギリスでは、難民(不法移民と呼んでいるが)をルワンダに強制移送するような政策も取っているが、それでもヨーロッパのほうがまだ難民の受け入れをちゃんとやっている印象を受けた(特にドイツ)。

タイトルの「ノイエ・ハイマート」は、ドイツ語で「新しい故郷」。
ベルリンの空きビルに「スクワッター」として住み着いたシリア人たちの居住区に掲げられていた横断幕に書かれていた文字だ。
(スクワッター…空き家などを無断で占拠する人々を「スクワッター」と呼ぶ。)

ベルリンのボランティアの人々が、そのビルを難民定住のセンターとして使おうと行政と交渉する。主人公の至は、その手伝いをした知人のロッテに対して、「新しい故郷」という言葉自体が矛盾しているのではないかという感想を述べるのだが、ロッテは、それを認めつつも、

「でもね、それを承知で新しい故郷を作らなければならない場合もある。そういう事態が迫ってくることがある。そういう人たちに手を貸すという義務も生じる」

と返すのだが、このロッテのような、したたかな精神を私は持てるだろうかと思わずにいられなかった。

ウクライナ、ガザ…世界各地で起こる紛争の度に国を追われる人々。今後も増え続けるであろう「難民」の存在に思いを寄せる。自分に何ができるかを考える。
そういう思いを持つことを第一歩として。

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