難解なハイデガーの思想が洒脱な文章で書かれていて、ついつい読み切ったのだが、この本を書いた背景として、筒井康隆が1989年ごろ、胃に穴が空いて下血して死の存在を意識していたことと、この本の執筆の契機および病の原因だったのが自身の作品「文学部唯野教授」であることが分かった。
ということで、「文学部唯野教授」を同じく読み切ってしまったのであるが、1990年、いわゆるバブル崩壊の前夜に、文芸批評と大学教授と小説家の関係をベースとしたパロディ、風刺小説が筒井康隆によって書かれていたことに、まず驚いた。
物語は、早治大学の文学部教授の唯野が、親友の牧口を別の大学の文学部教授になれるよう働きかける中、大学という機構にはびこる様々な奇習・悪習、そして人格も教養もないが自己保身術と経済活動にいそしむ教授連の姿が、これでもかというほど明け透けに描かれている一方で、唯野が非常勤講師を務める立智大学の文芸批評論の講座が、軽妙な語り口で展開されている(ただし、内容はハイブロウ)。
目次が、唯野の講義の題目になっているのも面白い。
第1講 印象批評
第2講 新批評
第3講 ロシア・フォルマリズム
第4講 現象学
第5講 解釈学
第6講 受容理論
第7講 記号論
第8講 構造主義
第9講 ポスト構造主義
文芸批評論が、ここまで文学以外の学問(主に哲学)に影響されたものだとは知らなかった。
しかも、その理由が「批評家が言われることをいちばん嫌うことばは『そんならお前が小説を書いてみろ』なんだけど…批評家がどうしても作家に勝とうとするため、権威のある批評の方法を文学以外のところにある難しい理論から持ってきて、こんな難しい理論だから、お前ら反論できまいってわけ...中には勉強して反論してくる作家もいる。そこで批評家の方は、これはいかんっていうんで、もっと難しい理論を持ち出してくる。批評はどんどん難しくなっていくのは当たり前だよね」という説明には、笑ってしまう。
唯野がペンネーム野田耽二で密かに書き続けていた小説が芥兀賞を受賞することがきっかけで炸裂する主任教授(批評家)の小説家となった唯野に対する狂気じみた憎悪も、うなづけてしまう。
その中では、フェミニズム批評、精神分析批評、マルクス主義批評、唯野自身の理論「虚構理論」が展開されることが述べられている。
これらについては、まだ読んでいない他の関連作品『文学部唯野教授のサブ・テキスト』、『文学部唯野教授の女性問答』などで語られているのだろうか?
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