ルーマニアの老作家パンデレと彼のゴーストライター兼秘書的な役割を果たしている主人公が、オフィスで老作家の自伝「回想」の話をしていたある日、息子と称する青年と彼の美しい婚約者(二人とも俳優)が、突然訪ねてくる。
二人は、明日、結婚するので同意してほしいという。そして、青年が老作家の息子であるという証拠は、老作家が若いときに一度だけ書いた戯曲の稽古が行われた1938年12月に関係していることを匂わせるのだが、何故か老作家の記憶は欠落してしまっていた。
その後、老作家は、突然、周りに説明もなく、両足が麻痺した演出家がいる二人が所属する劇団に身を置き、今まで書いたことがなかった「戯曲」を書き下ろすことを宣言する。
そして、老作家が演劇<スペクタクル>をみることを通し、記憶を喪失していた1938年12月の出来事を思い出しつつあることを主人公に告白する。
主人公は、老作家と劇団の関係を探る秘密警察のナンバー3の男から質問を受けながらも、「回想」と「戯曲」の原稿のまとめに追われていたが、ついにそれを完成させ、何故か、老作家の指示により、2ヶ月間のインド旅行に行くことになる。
インド旅行から戻ってきた主人公は、インドに行っている間、老作家のオフィスは、青年と婚約者を含めた劇団員が常駐して稽古をすることになり、その間、奇妙な出来事(婚約者が老婆のように見えたり、青年が少年にみえたりする)がたびたび起きていたことを、オフィスの事務員的な女性から聞く。
そして、イブの日に、老作家から呼び出され、青年と婚約者の三人とともに、トランシルヴァニア南部のシビウの森に行くことになる。
そこには、老作家が記憶をなくしていた1938年12月に、当時若かった老作家が青年の母親だった女優に誘われて泊まった森番の小屋があった。
イブの夜、四人が小屋に辿り着いたとき、ついに、老作家の記憶がすべて蘇ることになるが、何故か、主人公は翌日の朝、ひとり雪の中の切り株に腰掛け、凍傷の状態で発見されることになる。
そして、老作家と青年、婚約者の三人は跡形もなく消え去ってしまっていた。
後日、四人が訪れた森は1941年に伐採され、森番の小屋もなかったことが分かる。
そして、主人公は、劇団の演出家から、三人は”絶対的自由”の世界に消えた可能性を伝えられる。
この物語では、”絶対的自由”を、劇団の演出家のことばで、こう説明している。
…不幸にもかなり近い将来に巨大な収容所の完全にプログラムされた生活と同じことになりそうなその時間と空間から。われわれの子孫は、もし脱出の技法を発見できなければ、そうして、肉体をもちながら自由な存在という、人間の条件の構造そのものの中に与えられてある”絶対的自由”を活用することを知らなければ、…結局、死ぬでしょう。以上が、物語の大体のあらすじだが、実際、読んでみても謎が多い物語だ(薔薇の本数も謎)。
しかし、エリアーデが亡命した祖国ルーマニアの政治的背景と、世界的な宗教学者としての背景がひときわ濃くあらわれている作品のような気もする。
冷戦時代を髣髴とさせる秘密警察の暗躍、フォークロア的な時間と空間の転移現象、登場人物の行動に込められた宗教的な意味合い(老作家がかかえていた記憶喪失や主人公が度々陥る深い眠りは、様々な文化で根本的堕落を象徴しているという)、演劇という言葉、踊り、音楽という<俗>から<聖>を得るプロセス…
エリアーデ自身が、この作品の特徴を、「日記」でこう述べている。
この小説が文学的に成功していることは疑いない。しかし、これほど巧妙にカムフラージュされたメッセージが解読されるかどうかは疑わしい。まるで、読者を試しているかのような言葉だが、エリアーデの著書を一通り読んで、改めて再読してみたい小説だった。
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