少年のころから実家の庭で遊んでいるのが好きだった。
雨が激しく降ったときなどは、雨どいからいきおいよく側溝に流れ落ちる雨水を飽きもせず、よく眺めていた。自分の耳が水の音でいっぱいになるのを感じながら。
死んだ昆虫の死骸に蟻が群がっている。
むしむした暑い日のどんよりとした雲の下、蝉は鳴きつづける。
緑に淀んだ池に、赤い金魚が姿をみせる。
物置小屋の柱の隙間にある蜘蛛の巣に雷蜘蛛の姿。
それらを何も考えずにボーッと眺める。
そうしていると、こころが金縛りにあったように何も考えない状態になる。
有名な京都や鎌倉のお寺のきれいな庭をみても、そういう状態におちいることはない。
少年期に放出した思念がまだ庭に残っていて磁場のように私を包み込むのだろうか。
完全に私的で行くあてがないどこか憂鬱な思い。
今でも、その場に行くと、何も考えないで庭をしばらく眺めていることが多い。
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