2012年8月4日土曜日

やがてヒトに与えられた時が満ちて…/池澤夏樹


池澤夏樹が書いたSF小説。

人類が、子供が生まれなくなってしまうという災厄-グレート・ハザード-と呼ばれる出来事により、地球に住めなくなり、地球と月の間に植民衛星を作り、人類の一部が移り住んで二百年経った世界が、この小説の舞台だ。

その世界は、CPUネットワークと呼ばれる巨大なコンピュータシステムによって管理されており、人々は、ほとんどの知的活動(深い思索・文明の進化・発展につながるもの)をCPUに委ねている。そして、もう一つの統治機構である憲法ファイルでは、人々は過去を追憶することが禁止されている。

そんな世界の中で、人々は、欲望を抑えて穏やかに暮らす姿勢を身につけていた。
最小限の性欲、最小限の出生率、最小限の自己表現欲、既存のシステムの内部で完結する精神。

そんな世界に模範的に順応してきた主人公が、奇妙な事件に巻き込まれ、少しずつ、CPU、グレート・ハザード、植民衛星の成り立ちに疑問を抱き、地球での暮らしに関心を抱くようになる。
そんな彼が、ある日、CPUから、遠い天体からの光の情報に含まれた曲線の意味を解いてほしいという委託を受ける。

池澤夏樹らしく、理科的な表現を曖昧にしていないところが、読んでいて心地よい。

たとえば、地球の天候を知らない植民衛星に住む人々が、”曇り”をイメージするときの説明。
曇りというのは、大気内に微小な水滴がたくさん生じて、その不透明性ゆえに太陽の光を遮ること、むしろ乱反射・乱屈折によって太陽の像が地球に届かない状態のことだ。
雲はさまざまな条件で生じ、厚みも密度もいろいろある。厚い雲が空を覆う日には、地上はだいぶ暗くなったようだ。
それと、宇宙食を思わせるような植民都市での、主人公たちが食べる美食の表現が秀逸だ。
たとえば、主人公がガールフレンドと食事を楽しむときの料理の表現。
ミートBにたっぷりのスパイスPをすり込んでステーキにして、ウェッジPのマッシュを添える。
グリーンA を茹でて、グリーンLやフルートGと和え、VSOのドレッシングを作って混ぜる。
カーボハイドはBではなく、Sを注意深く茹でて、ディアリーBとC、それにスパイスBで味つけする。
…飲み物はビヴァWの赤。
この記号だらけの食べ物の組み合わせが、植民都市の生活の単一性、有限性を雄弁に物語っている。

この小説は、1996年に刊行されたものであるが、久々に読んでみて、池澤夏樹の文明観は一貫して変わっていないことを感じる。

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