主人公のシナリオライターの夫とその妻の関係が、小さな事件をきっかけに破綻していく。
映画プロデューサーの男と夫婦が食事をした後、車で移動するときに、映画プロデューサーの二人乗りの車に、妻を進んで乗せようとした夫。
そのちょっとした出来事から、二人の仲はおかしくなっていく。
外出も食事も別、夜も一緒のベッドに寝なくなる。窓を開けて寝るのが嫌だとか、いびきがうるさいと言い出す。体を求めると、拒絶され、さらに求めると、機械的に受け入れようとする。
夫は、そうなった原因について、過去の自分のちょっとした浮気のせいなのか、あるいは、冒頭の事件において、自分が映画のシナリオの仕事を得るために、 妻を利用しようとしていると妻が感じたのではないかと疑心暗鬼する。
そして、なぜ、自分を嫌いになったのか、夫が何度も妻を問い詰めると、最初は否定していたが、ついには「あなたを軽蔑しているから」と告白する。
夫としては、かなり堪える言葉だが、この夫は、軽蔑されればされるほど、だんだんと妻の魅力にひかれていく。
映画プロデューサーの別荘に二人で出掛けて、妻が映画プロデューサーに無理やりキスされている場面を見ても、 夫は映画プロデューサーと本当に決別しようという気がなく、逆に妻に対する欲情の度合いを増していく。そういう意味で、この小説は倒錯的な性欲をテーマとして扱っているといってもいいかもしれない。
この小説も、前に紹介した「マイトレイ(エリアーデ)」同様、半分は、作者のモラヴィアの実体験に拠っているところがあり、モラヴィアの妻であり、小説家のエルサ・モランテ(アルトゥーロの島が有名)が、映画監督のルキノ・ヴィスコンティ(ベニスに死すが有名)と愛人関係になってしまい、夫であるモラヴィアが、夜ごと、夜更けに帰ってきくる妻から、愛人ヴィスコンティとの恋愛を聞かされるという辛い経験から生み出されたものらしい。
私がモラヴィアを人として好ましいと思うのは、そんな愉快ではない体験を、「軽蔑」において、妻や愛人への憎悪に向けることなく、物語最後に、妻を慰めと美のイメージに変換してしまったところだ。ある意味、人生の達人ですね。
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