題名のどおり、まさしく、軍靴の話だ。
日本軍の軍靴は、ゴム底鮫皮の靴だったらしい。
ゴム底は、フィリピン島の草にすべりやすく、鮫皮はよく水を通すという欠点があり、大半の兵士は行軍で靴をすり減らし、満足な靴を持てなかった。
そのため、靴の盗難が頻りに起こったという。
本来であれば、軍が支給すべき“靴”が、兵隊個人の私物となっていたということに、日本軍の乏しい物資補給が浮かび上がってくる。
*水木しげる氏の戦記でも、死んだオーストリア軍兵士の立派な軍靴を盗んでしのいだ話が書かれている。
大岡もひどい靴を履いていたが、マラリヤに罹って死んだ僚友が大事にしていたゴム底鮫皮の予備の靴を、秘かに手に入れる。
その後、熱病にかかった大岡は、靴をテントで包み、横になりながら、彼が靴を盗ったことを非難する兵士のやり取りを聞き、自分の心情を分析する。
そして、あれこれ、自分の心情を探りながらも、
結局靴だけが「事実」である。 こういう脆い靴で兵士に戦うことを強いた国家の弱点だけが「事実」である。と結論付けている。
物語は、その後、捕虜として捉えられた大岡が、その靴を所有していたことで、 捕虜仲間から貴族扱いされ、(捕虜の多くは靴を所有していなかった)、鮫皮の靴が、捕虜の病院で、唯一の日本軍の軍備として、重宝されたエピソードが語られている。
病人の履く靴としては、アメリカが支給するサイズが大きすぎる靴より、軽く、ゴム底も柔らかで履きやすかったという。
しかし、大岡には、死んだ僚友の靴であるという重荷があったため、サイズが合う靴が手に入った段階で土に埋めてしまう。
その埋めた靴も掘り起こされ、誰かに盗まれたことを後日知る。
彼は、多くの兵士がいまだサイズが合わない靴を履いている事実を忘れていたことを述べ、こう締めくくっている。
収容所でも戦場と同じく「事実」だけが「正しく且重要であった」のである。最も基本的な装備である靴すら、満足に支給できなかった日本という国家が、兵士に対してそれでも戦うことを強いた「事実」が、大岡の頭からは離れることはなかったのだと思う。
欠乏のあるところ常に 「事実」がある。
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