そのような高い基準を満たす作家の一人に大岡昇平も入る。
彼は、太平洋戦争の時に、徴兵され、フィリピン レイテ島に送りこまれ、戦争に参加し、過酷な戦場で死ぬ一歩手前、米軍の捕虜になり、生き残ることができた。
彼の戦争体験記は、野火、俘虜記、レイテ戦記といった主要な作品の大きなテーマになっている。
決して明るい話ではないが、それでも、不謹慎ながら、私は、大岡の文章を読んでいて、その美しい無駄のない文章に気持ちが晴れる思いがする。
この出征も、そんな作品の一つだ。
東京の予備兵として徴集された大岡が、除隊の予定の日、何故か、自分の名前が呼ばれない。
呆然とする一部の兵隊たちとともに残され、南洋の前線に出征することを告げられる。
戦争に行くにも、色々な段取りを踏む。
遺書を書き、家族と別れの挨拶をし、千人針を受け取り、電車に乗り、門司まで行き、そこでしばらく待たされ、南洋行きの輸送船に乗る。
限られた時間のなかで、妻と子供に会いたいが、上京の負担をかけることと会っても無駄だという思いが交差する、その葛藤。
外洋へと向かう船から、あの島を通過すれば、二度と日本を見ないだろうという思いが去来する。
私に何か感慨があったかどうか、わからなかった。
しかし、その時の私の中の感情は、私が出征によって、祖国の外へ、死へ向かって積み出されて行くという事実を蔽うに足りない、と私は感じた。大岡の文章は、常に正確に自分の心情を捉えようとする。
0 件のコメント:
コメントを投稿