作中、ポーの「黄金虫」や、ホームズとワトソンといった名前が出てきたりするので、明らかに、谷崎がこれらの作品の影響を受けて書いた推理小説ということが分かる。
ちなみに、この「白晝鬼語」は、1918年(大正7年)に発表されている。
江戸川乱歩が、最初の作品を書いたのが、1923年(大正12年)なので、日本の推理小説の黎明期に書かれた作品と言って間違いないだろう。
とはいえ、谷崎が書いているので、クオリティは高い。
日本の推理小説にありがちな、怪奇な要素とか、田舎や旧家の奇習とか、ごたごたした人物描写がなく、頭にすっと人物の様子とあらすじが入ってくる。なにより文章が読みやすい。
本当のところ、谷崎は、探偵小説を書きたかったのかもしれないが、まだ「探偵」という仕事じたい、当時の日本では認知されていなかったのかもしれない。
本書では、ホームズ役に、金持ちで暇を持てあまし、一人暮らしをしている精神病の気味がある男 園村を、ワトソン役に、園村の友人で常識的かつ若干臆病な作家 私が配置されている。
物語は、ある日、園村が、「今夜、東京の或る町で人殺しが行われる」と、私に連絡をしてくるところから始まる。
園村は、映画を観た際に、ある美しい女が男と交わしていた秘密の暗号文を拾い、ポーの「黄金虫」の知識で読み解き、その情報を入手する。その解読文は以下のとおりだ。
in the night of the death of Buddha, at the time of the Death of Diana, there is a scale in the north of Neptune, where it be committed by our hands.
仏陀の死する夜、ディアナの死する時、ネプチューンの北に一片の鱗あり、彼処に於いて其れは我々の手によって行われざるべからず。
ここから言ってしまうと、ネタバレになってしまうので止めておくが、日本の暦、東京の地名をうまく使っていたりして、推理小説としての創意工夫も感じられる。
しかし、いかにも谷崎らしいと感じるのは、コナン・ドイルが、ホームズが死を賭してモリアーティ教授と対決する物語を書いたのに対し、この物語では、園村が命の危険を感じながらも恐ろしい犯罪者である美女に魅了され、不用意に近づいていってしまうという愚かさを描いているところだろう。
そのせいで、日本における推理小説の先駆けのようなこの作品が、いきなり、反・推理小説のような様相を呈することになる。
谷崎にとっては、冷徹な推理のロジックより、美しい女性が犯す恐ろしい犯罪のスリルのほうが、よほど魅力的だったに違いない。
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