谷崎後期の傑作「蓼食う虫」と晩年の傑作「瘋癲老人日記」の原形のような作品だ。
書生の青年が、遠縁の老人の変わった死を、谷崎に手紙で告白するという構成になっている。
画家を目指す青年が、質屋を営んでいた隠居の老人と、その妾の富美子と知り合った経緯を語る。
この作品は、いかにも隠居の好きそうな、下町趣味の注文に嵌まった、いなせな、意気な女である富美子のなよなよとしてなまめかしい体の線や、顔立ちのこと細かな描写からはじまる。
そして、富美子の美しさに惹かれ頻繁に老人の元を訪れるようになった青年は、老人から、汚れた素足を手拭いで拭いている女の美しい姿を描いた国貞の浮世絵を示され、同じ姿勢で富美子の姿を描いてほしいという注文を受ける。
ここで青年は、富美子の体の最も美しい部位が足であったこと、そして、老人が極度の足フェチであることに気づく。
富美子の足の描写もすごい。歯並びのごとく整然と並んでいる指、真珠の貝を薄く細かに切り刻んでピンセット植え付けたかのような可愛い爪、丸くふっくらとした、つやつやとした踵。象牙のように白くすべすべとした肌の色。
そして、青年自身も、そんな富美子の踵に踏まれる畳になりたいと思う、足フェチであることに気づく。
糖尿病と肺病を患い、寝たきりになってしまう老人は、自分の代わりに青年に犬の真似をさせ、富美子の足にじゃれつかせ、顔を足で踏まれる姿をみることによって、強い快感を味わう。そして、青年も、頼まれもしないような真似を演じ、同じく、幸福を感じる。
壮絶なのは、危篤に陥り、食欲も無くした老人が、唯一、富美子の足の指に挟んだガーゼに染み込ませた牛乳やスープを、貪るがごとく、いつまでも舐る姿だろう。
そして、臨終のとき、富美子の足に顔を踏まれながら老人は歓喜のうちに息を引き取る。
人間の性に対する底なしの欲望と愚かさを描いている点は、谷崎の終生のテーマであったと言えるだろう。
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