この小説では、彼の主題である美しい女性への崇拝という要素がなく、一見、異類な作品にも見えるが、人の愚かさを描いているという点では、谷崎らしい小説とも言えると思う。
子だくさんの貧乏な小学校教師 貝島が受け持つ教室に、沼倉という一見して卑しい顔立ちの貧乏そうな少年が転校してくる。
成績の悪い不良少年かと思いきや、成績も相応で、性格も温順、無口でむっつりと落ち着いた少年で、いつの間にか、クラスでも餓鬼大将的な地位を占めるようになる。
そのうち、貝島が授業中おしゃべりをしている沼倉を注意して立たせようとしたところ、クラスの全員が彼をかばい、懲罰を止めてしまう事件が起きるが、それは後に、沼倉が、自分の部下たちがどれだけ彼に忠実であるかを試験するために故意に起こした事件であるという事が分かる。
この沼倉という少年の描き方が面白い。
戦争ごっこをやらせると、威厳のある大将として少ない兵数でも勝ちを収めてしまう。
太閤秀吉になることを公言し、度量の広い、人なつかしいところがあり、自分の権力を濫用することもなく、逆に弱い者いじめをしている者に厳格な制裁を加える善政も行うため、人望も厚い。
「先生がこう言った」というより、「沼倉さんがこう言った」というほうが、生徒たちの胸には遥かに恐ろしくピリッと響く。
貝島は、この沼倉のクラスに対する統率力を巧妙に利用し、クラスの規律強化を図る。
その効果は目覚ましいものがあったが、その弊害として、沼倉の生徒たちへの管理体制が一段と強化されたことが、そのうち分かる。
生徒一人一人の素行点を着け、遅刻・欠席などを行った生徒に理由を申告させるとともに、嘘がないかを調べるために密偵を用意する。
また、腕力のある者を監督官に任命し、出席簿係り、運動場係り、遊戯係りといった様々な 役人を作り、大統領である沼倉を補佐する副大統領を設け、これらの副官、従卒ができる。裁判官もいる。よい行いをした者には勲章を授ける。やがて、沼倉が印を押した貨幣が流通し、市場が出来る…
そして、物語は、この小さな王国で、金に窮した貝島が、沼倉に貨幣を分けてもらい、自分の子供のミルクを購入するという不気味なシーンで終わる。
この作品で谷崎が提示した子供の王国は、一見すると、大人の社会を戯画化しただけのようにも見えるが、谷崎が何故こんな作品を書こうと思ったのか、その背景を考えると意外と面白いかもしれない。
谷崎は少年時代、「神童」と呼ばれるほどの頭脳の持ち主だった。彼から見れば、学校、特にそこで権威を振るう教師は、時に馬鹿にしたくなったり、首を傾げることも多い存在だったのではないだろうか?
力と智慧がある子どもは、愚かな大人(教師)よりも優れている、と彼が秘かに考えていたとしても不思議ではない。
そして、そんな彼の積年の思いを具現化した世界が、この小説なのかもしれない。
この作品も、大正7年(1918年)の作品だが、この頃の谷崎の小説は、バラエティに富んでいて読んでいて飽きない。
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