現 大阪府知事の松井一郎氏(維新の党顧問)が、「百田さんにも表現と言論の自由はある」と擁護し、さらに「ここぞとばかりに復讐だな。朝日(新聞)と毎日(新聞)は、百田さんの表現と言論の自由を奪っているのではないか。」と発言していたことが気になっていた。
http://www.asahi.com/articles/ASH6V728TH6VPTIL02K.html
気になっていたというのは、表現(報道)の自由を否定するような人間の発言も、表現の自由の恩恵を受けることが可能なのか?という漠然とした疑問だった。
第一、そんなことを言ってしまったら、権利侵害の発言は、ちっとも止まず、ますます、社会に害を及ぼすではないか?
この松井氏の発言に、知識人から真っ当な反論があったのかどうかしらないが、今日、たまたま、読んだ、内田樹さんのブログの内容は、これに対する有効な反論だと思うので紹介したい。
http://blog.tatsuru.com/2015/07/01_1542.php
今問題になっているのは、「国民は長期的・集合的には必ずや適切な判断を下すだろう」という「国民の叡智」に対する信認の存否である。この考えに深く同感。勉強会に出席した自民党議員の発言にも、上記のような驕りを感じる。
いくつかの新聞を挙げて「つぶれた方がいい」と言った人間はその新聞の読者たちに向かって「おまえたちは新聞に騙されているから、間違った判断を下すだろう」と言っているのである。
「私が代わりに判断してやるから、お前たちは私が『読んでもよい』というものだけ読んでいればいい」と言っているのである。
ちなみに、報道機関を「懲らしめる気はある」 と再び発言した大西議員に至っては、記者団とのやり取りの内容を読んだが、支離滅裂すぎて何を言っているのかが理解できない。
http://www.asahi.com/articles/ASH6Z5QFGH6ZUTFK00R.html
伝わってくるのは、「自分は悪くない! マスコミが悪い!!」ということだけである。
しかし、安倍首相と仲が良かったり、彼を熱心に応援する人って、なんで、こんな人たちばかりなんでしょうね?
安保ひとつとっても、作家で言えば、反対派には、大江健三郎さんや、瀬戸内寂聴さんなどの錚々たる顔ぶれが居て、賛成派は今回の百田氏ぐらいでしょう。
作品の品質だけでも格段の差があるのに、人間的な品格も雪と墨ほどの違いがある。
やっぱり、「類は友を呼ぶ」なんだろうか。
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