2015年7月23日木曜日

天鵞絨の夢/谷崎 潤一郎

個人的な感想で言えば、谷崎の作品のなかで、最も耽美的な小説だと思っている。

谷崎は「人魚の嘆き」や「魔術師」といった技巧的な幻想小説を残しているが、これらの作品は、挿絵に使われた水島爾保布(におう)の絵ほど、読者に耽美的な印象を与えていないような気がする。


その原因の一つは、谷崎が徹頭徹尾、明快な文章と思考をもって、物語を書く小説家であったことが影響していると思われる。

確かに、谷崎は、非日常の世界とも思える様々なかたちの性や犯罪、女性崇拝を題材とした小説を描いているが、そこに登場する美しい女性は常に具体的な姿形で表現されており、また、その女性の美に翻弄される男の感情や思考、運命にも曖昧模糊なところがない。

多少誇張されているとはいえ、どっしりと地に足を付けた現実的な人物が谷崎の小説の登場人物であり、 人魚や半羊神といった架空の生物は、彼のスタイルには馴染まなかったのかもしれない。

そこをいくと、この「天鵞絨の夢」(びろうどのゆめ)は、谷崎の現実主義的な作風が、最も耽美的な世界に近づくことのできた小説のように感じる。

物語は、中国 杭州の西湖のほとりに別荘を持つ富豪の温秀卿が、その美しい愛人ととともに、自分たちの「歓楽の道具」として人買いから買った美しい容貌の男女の奴隷の証言で構成されている。

この物語では三人の奴隷の話が取り上げられ、それぞれが関連性をもって、後の話に続くが、やはり、一人目の琅玕(ろうかん=ひすい)洞に閉じ込められた美少年と、その少年に会いにゆく二人目の少女の話が美しい。

琅玕洞は、温秀卿の美しい妾(女王)の阿片部屋として使われていて、少年は、女王が阿片の夢を心地よく見るため、お香の準備などを行う役割の奴隷だ。そして、美しい幻想のために、琅玕洞の天井は透明なガラスで仕切られた池になっている。

 この琅玕洞は、さながら、水族館の透明な水槽のように天井一杯に広がっていて、晴れた日には、美しい魚群のほかに、日の光がさらさらと入ってくる。

少女は、女王が美しい夢をみるために、魚が池の底、すなわち琅玕洞の天井にたくさん現れるよう、池の表面を叩く役割を持った奴隷だったが、ある日、好奇心に負け、池に飛び込み、少年と出会うことになる。

やがて、少年と少女は、ガラス越しに愛し合うようになる。
少年の告白

少女というものが現れてから、女王に対する崇拝の情とは全く異なった甘いなつかしい愛情が湧き上るようになったのです。それは阿片の夢を喜ぶ煙のように果敢ない頼りない心地ではなく、どうかして彼女の体へ抱き着いてやりたいと願うほどにも熱烈な力強い欲望でした。
少女の告白

私はよく、硝子の板へ俯伏しになってわざと唇を大きく明けて動かしながら、
「わたしはあなたを恋して居ります。」
と、そう云って見たりしましたけれども、其の言葉は声にはならずに、真珠のような泡となって数珠の如く繋がりながら、水の中を上の方へ昇って行ってしまうのでした。

阿片と香の煙が漂う閉ざされた琅玕洞のなかで美しい女王は阿片の夢にふけり、その傍で少年と少女は隠れた恋愛を楽しんでいたが、やがて女王が二人の関係に気づき、少女に対して恐ろしい罠をかけることになる。

実に退廃的な世界だが、その映像は想像すると美しい。

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