食欲と性欲。
この人間の三大欲のなかでも、ひときわ始末に負えない欲望を、恥ずかしげもなく追及して止まない男たちの奮闘努力を描いているこの作品を読むと、人間の業の深さと退廃的な雰囲気を十分に味わうことが出来る。
谷崎のバラエティに富んだ初期の作品の中でも、とても好きな作品だ。
物語は、美食と女色を好む美食倶楽部の説明から始まる。
料理は藝術の一種であって、詩よりも音楽よりも、藝術的効果が最も著しいように感じている彼ら会員5名は、いずれも、美食を毎日のように食べているため、でぶでぶに肥え太り、三人までが糖尿病にかかっているが、死ぬまで食べることを止めることはないフォアグラ用のアヒルのような境遇にいた。
暇と金を持て余している彼らは、東京の目ぼしい料理屋はすべて征服してしまい、すっぽんが食べたくなれば京都へ、鯛茶漬けが食べたければ大阪へと遠征を重ねていたが、ついには日本料理も支那料理(中華料理)も食べ飽きてしまう。
そんな美食に飽きてしまった会員たちの中で、最も財力と無駄な時間を持ち合わせているG伯爵が、偶然、支那人たちが極秘裏に開いている宴会を知り、その中に潜入し、様々な形式の支那料理の様子を観察する機会を得る。
そして、そこから、インスピレーションを得たG伯爵は、驚くべき料理を会員たちに振る舞う。
例えば、「火腿白菜」。
まず、真っ暗な部屋に立たされた会員の顔や口元を涎が止まらなくなるほど、女性の手が撫でまわす。 そのうち、女の指が口の中に入るが、不思議と甘い塩気を含んだような味が広がり、やがて、それがハムの味であることに気づく。思わずその指を噛むと、潰された部分の肉は完全な白菜と化す。
「高麗女肉」 も強烈だ。
これは、仙女の装いをした女性が食卓の中央に運び込まれるが、実は天ぷらのころもを纏っており、会員は女肉の外に附いているころもだけを味わう。
物語の最後では、味わうでもなく、食うでもなく、「狂」った美食倶楽部のその後の美食の献立が八つほど紹介されているが、それを漢字四文字で読者に想像させるという仕掛けも面白い。
たとえば、 「咳唾玉液」 と 「紅焼唇肉」 なんかは妖しいイメージが湧いてきますね。
大正8年(1919年)の作品だが、 この頃の谷崎の創作活動は、第一期黄金時代と呼んでも差し支えないかもしれませんね。
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