2011年9月8日木曜日

幸と不幸の量は皆ひとしく同じ

山岸涼子の「白眼子」は、読んでいて、色々と考えさせられる作品だ。

運命観想を生業にする盲目の男、白眼子と、戦後の混乱で迷子になって、
その白眼子に拾われる少女、光子との不思議な縁を描いた作品。

その白眼子が、死に近い間際、光子にこういう。

『…試練は人を強くさせる
わたしの所へ色々な人が災難をさけてくれとやって来た。
だけど、本当は災難はさけよう、さけようとしてはいけないんだ。

災難は来るときには来るんだよ。

その災難をどう受け止めるかが大事なんだ
必要以上に幸福を望めば、すみに追いやられた小さな災難は
大きな形で戻ってくる…』

何だか、今の日本を示唆しているような言葉だ。

物語には、白眼子の不思議な力にあやかろうとすり寄ってくる俗物もいて、
やり手の実業家が、どんどん事業を拡大し成功する話が出てくる。

しかし、「どうやら、人の幸・不幸はみな等しく同じ量らしいんだよ」という
白眼子の言葉どおり、その実業家は、突然死んでしまう。

何かを必要以上に望めば、何かを失う。
だが、それを分かっていても、人は必要以上に何かを望むのが常だ。

白眼子の言葉は、かつてはあったが、今や誰も口にしなくなった
「節度をもった生き方」ということなのだろう。

しかし、私たちはすでに、こういう生き方を見直すことが迫られている
分岐点に来ているのかもしれない。

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