2011年9月27日火曜日

坂の上の雲-ドラマにはなかった部分

司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKのスペシャルドラマとして2009年から毎年年末に放映されている。

司馬遼太郎本人としては、戦争賛美と誤解される恐れがあるということで、この作品を映像化することについては、かなり反対だったらしい。

私自身は、とりたてて好戦的な印象を受けなかった。
司馬遼太郎が書きたかった主題は、明治時代の雰囲気が持つ独特の楽観主義や明るさ、そして、昭和初期には失われてしまった政治家や軍人の判断から感じる客観性、合理主義が、明治時代にはまだあったということだと思うからだ。

そういう視点でみると、ドラマのなかで原作のある部分に全く触れていないことが気になった。

それは、日清戦争直前期に、海軍省大佐 山本権兵衛が行った、海軍省の無能幹部の大量首切りである。

「大整理をして有能者をそれぞれの重職につける以外にいくさに勝つ道はありません」
その思想のもと、維新の功績だけで軍艦の構造すら知らない無能な薩摩人を、同じ薩摩人である山本権兵衛が容赦なく首を切っていった。

山本権兵衛は懐中に短刀を忍ばせて、首切りを宣告していったというから、やる方も命がけである。

その結果、日露戦争当時、ロシアには風帆船の操作しか知らない老朽士官が多かったにもかかわらず、日本海軍では、そのような老朽士官が日清戦争直前期にすでに一掃されてしまっていたという。

「大量首切り」=リストラという発想になったのかもしれないが、こういった厳しい合理主義が必要なときもあるということは、ある意味、真実だろう。

そのことについてドラマで全く触れなかったというのは個人的には残念です。

2011年9月26日月曜日

本棚の神隠し

今、読みたい本にかぎって、本棚のどこにも見当たらないのは、何故だろう。

だらしない片づけ方が一番の原因とは知っているが、読みたい本にかぎって8割から9割の確率ですぐに見つからない。

そうやって、本棚をバタバタ探していると、二番目に読みたかった本が、ちょっと前まで、本棚の前のほうにあったはずなのに、どこかに隠れてしまう。

そんな非効率的なことが私の本棚ではよく起きています。

2011年9月25日日曜日

インド風噛みタバコ、バター茶、パパ

藤原新也が若いころに書いた「印度放浪」「西蔵放浪」「全東洋街道」を読むと、どうみても美味しくはなさそうなのだが、不思議と食してみたいというものがでてくる。
こういうのは、私の嗜好が変というより、作者の筆力のせいといっていいのかもしれない。

まず、「印度放浪」でいうと、旅をしている作者がパロディという街に着いたときに質問してきた役人が噛んでいる「パン」というインド風噛みタバコが、すごく気になる。

「石炭や銀紙にくるんだ苦甘い香料、ドングリのような渋い味の木の種、その他数種の得たいの知れぬものを、ニッケとドクダミを混ぜたような味のする青い葉っぱにくるんで、口の中に抛り込む。…
それは文字どおり怪奇な味であり、まさに無謀な味であり、それは味というにはあまりに秩序を欠いている。音にしてみれば、楽団が何かを演奏する前の音合せのように、カネやタイコやラッパが、それぞれかってにやっているような感じで、とどのつまり、何を食っているのかさっぱりわからない。…
たとえば、インド世界的混沌を、そのまま口に抛りこんだようなものである。
…唾が大量にやたら出てくる。ペッと吐くと喀血したように唾が赤くなっている。そしてまた口の中でモグモグやってパッと出す。これを何べんもくり返すのである。」

たぶん間違いなく不味いのだと思いますが、一度、試してみたい気持ちが抑えられない。

次に、「西蔵放浪」に出てくる僧侶(親しみをこめてか、ゴロツキ寺の坊さんと酷評されている)が飲んでいるバター茶である。

「…またある者は、バターのたっぷり入った塩茶と砂糖茶を入れ替えとっかえ、一日に二十杯も、三十杯戯(あじゃら)飲みして、戯(あじゃら)話に耽っている」
「読経がやや進んだところで、小僧が台所の方から登ってきて大きな真鍮の薬罐に入ったバター入りの塩茶を、次々に僧たちの木椀に注いでゆく。僧たちは経を唱えながら、経の中継ぎの所で休んでは、その湯気の立つバター茶をすする。…」

この場合、チベットの乾燥した空気、坊さん、バター茶という3点セットが魅力的なのかもしれない。おそらく、日本の茶の間で同じ味を再現しても美味しくないだろう。

さいごは「全東洋街道」に出てくるヒマラヤ山中の山寺の朝食で「パパ」という食べものだ。

「遠くから見るとそれは焼きたてのフランスパンのように見え、近くにくるとそれは黄粉をまぶした大きな餅のように見えた。目の前に置かれるとどう見ても土のかたまりとしか見えないものに成り果てていた。…土のかたまりの横に小さな器の青汁が置かれた。匂いがした。ちょうどそれは小鳥に与える《すりえ》そっくりの匂いと色をしている。」
「あの土のかたまりのようなもの…それは木材をノコギリで切った折に地面にたまる木くずを三日ほど髪油-椿油など-に浸しきわめて少量の味の素を振りかけてねり固め、それを一時間ほど蒸したような味と思えばいい。」

作者は、これを初めて食べたとき、「メシを食って自殺を考えた」というが、山寺滞在の六日目には味を感じ、おいしいと感じたそうだ。

これを食べたいのは、やはり、作者が六日目に感じた舌の革命を体験したいからだと思う。
そう考えると、これも俗世を断ったヒマラヤの山深い寺でないと本当の味は分からないのかもしれない。

2011年9月24日土曜日

チェレンコフ光

池澤夏樹の小説「スティル・ライフ」の冒頭、主人公がバーで一緒に飲んでいる謎の男 佐々井がグラスの中の水を見つめながら、こんな風に話し出す。

「チェレンコフ光。宇宙から降ってくる微粒子がこの水の原子核とうまく衝突すると、光が出る。それが見えないかと思って」

「水の量が千トンとか百万トンといった単位で、しかも周囲が真の暗闇だと、時々はチラッと光るのが見えるはずなんだが、ここではやっぱり無理かな」

この科学と詩的なイメージが融合した世界観に引き込まれた人は多いのではないだろうか。

小説「スティル・ライフ」が書かれたのは1988年頃。
その5年前に、素粒子「ニュートリノ」を観測するための3千トンの水を蓄えたタンクを持つ装置「カミオカンデ」が岐阜県の鉱山地下に作られた。

現在では、5万トンの水を蓄えたタンクを持つパワーアップされた「スーパーカミオカンデ」が、チェレンコフ光を観測することにより、ニュートリノを検出する装置として稼動している。
(ちなみに25mプールの水量は約540トン)

そのニュートリノについて、名古屋大学など11か国の研究機関による国際研究グループが、「ニュートリノは光よりも速い」ことを示す実験結果を発表したということで、話題になっている。

アインシュタインの「特殊相対性理論」を覆す可能性があるということで、もし、これが事実だとすると、タイムマシンや異次元の存在も可能になるというのだがら、大事件である。

今後、他の研究者による検証が行われるということだが、これからの進展が非常に楽しみだ。

2011年9月23日金曜日

フランツ・カフカの小説

フランツ・カフカの「変身」を最初に読んだのは、高校生のときの「読書感想文」の課題図書としてだった。

「読書感想文」という気の乗らない作業だったせいもあるが、そのときは、ずいぶんと奇妙な話だなという程度の印象しかなく、肝心の「感想文」も盛りあがらないものになってしまった記憶がある。

その後、自分が社会人の年代になると、営業マンの男がある朝起きたら虫になっていたというストーリーに不思議な興味を感じはじめ、ひさびさに「変身」を読み返してみると今度は面白かった。
変な話だがグレゴール青年にある種のシンパシーのようなものさえ感じた。

池澤夏樹の「世界文学リミックス」では、カフカの「変身」について、『「虫」の代わりに「鬱病」という言葉を入れたら、今やそんな話はどこにでもある。…カフカが恐ろしいのは、結局のところ彼の書く不条理の世界が現実だったからだ』と解説している。

倉橋由美子の短文「カフカの悪夢」も、カフカの作品について面白い解釈をしている。

『「審判」は絶対に自分の罪を理解することができず、従って責任を取ることも知らない人間が、その無知の故に罰せられる物語ではないかと解釈するのです。そうすればこの悪夢の塊のような小説はにわかに倫理的な色彩を帯びてきます。』

倉橋は、そう解釈する理由を、カフカの奇妙な実生活(女性との婚約、解消を何度となく繰り返し、結局、結婚せず)をあげている。
そして、「何一つ責任も取らない奇怪な男」が「自分を罰するためにあんな小説を書いたのかもしれません…」と述べている。

うーん。確かに。
ひょっとすると、読者も自分自身を罰するために、この不条理な悪夢のような小説を読んでいるのかもしれませんね。そうすると、その読者というのは…

2011年9月22日木曜日

科学者が訳した「般若心経」

里帰りしたときには、亡くなった祖父母に仏壇でお線香をあげる。
誰かのお葬式にいくときには、お焼香をして合掌する。

しかし、皆さんも同じだろうが、あなたは仏教徒か?と聞かれたら、「いや特に…」と答えてしまいそうだ。

そんな仏教には無縁の人でも、生命科学者 柳澤桂子が「般若心経」を現代語訳した「生きて死ぬ智慧」は、一読の価値があると思う。

まず、文章が非常に美しい。

そして、人と宇宙は「粒子」で出来ていて、人も宇宙も一つにつながっており、ゆえに、人も宇宙も実体がない「空」であると「般若心経」を科学的に解釈しているところが、少しも違和感を感じさせない。

たった256文字の「般若心経」を、こんな風に科学的に解釈して現代語に移しかえることができたのは、筆者が優れた科学者であったことも影響しているが、頭の中で、何度も何度も「般若心経」を反芻し、色々な解釈をこころみた成果であるような気がする。
(256文字の行間を埋める文章が、大胆かつ清新な解釈になっています)

落ち込んでいるときや、苦しいときに読むと、気分が楽になる本かもしれません。

2011年9月21日水曜日

もろい

ホームには、人があふれていて、電車に何とかして乗ると、汗だくのサラリーマン3人に囲まれてしまった。サウナのような暑さのなか、電車はなかなか動かない。ドアから押されて、降りられなくなったおばさんが「乗るんじゃなかった」「乗るんじゃなかった」と繰り返しつぶやいていた。
(しかし、この電車を最後に運行中止となったので、おばさんは乗ってよかったのだった)

ひさびさに、震災直後の通勤電車を思い出した。

駅から家のみちのりも、傘をさすほうが危険なぐらい風が強い。仕方ないから、傘をささないで濡れて歩いた。

ようやく、家について、べったりと濡れたズボンを脱ぎ、ニュース番組を見ていたら、突然、停電。

携帯電話のバックライトを頼りに、これもひさびさに、防災袋を取り出して、懐中電灯をつけた。
ブレーカーを見ても落ちていないから、やはり停電なのだろう。

窓には、たたきつけるような激しい雨がふきつけている。

私の家はマンションだから、停電になると水も出ないし、トイレもできない。
そして、つくりかけの炊飯ジャーは、まだ炊けていない。

やっぱり、もろいな。この生活。
数日前にテレビで見た「北の国から」の吹雪で停電になった富良野のようだ。

30分後、電気は戻った。
また、停電になるかもしれないと思って、バケツに水を汲んでおいたが、結局なにもなかった。
ご飯は、とりあえず食べることができた。

空からは、コインランドリーのように大気がかき回される音が数時間続き、やがて台風は去っていった。

あの震災を経験して活かされたことと活かされなかったこと。
皆さんはどうでしたか?

2011年9月20日火曜日

海老沢泰久の小説

海老沢泰久氏が2009年8月13日に死んだのを知ったのは、うかつにも今年に入ってからだ。

寡作な作家のため、まだ、作品が出ないのだなと、のん気に構えていたら、久々に買った時代小説「無用庵隠居修行」のあとがきを読んで亡くなられたのを知ったのだった。

思えば、海老沢泰久氏の小説とは、長いつきあいで、「監督」からはじまり、「F1地上の夢」「F1走る魂」「美味礼賛」といった準ノンフィクションものや、「二重唱〈デュエット〉」「帰郷」「夏の休暇」といった恋愛小説が中心の短編、最近の歴史小説「青い空」など、ハードカバーから単行本まで、本棚にちらばっている。

「監督」からは、勝利に徹するプロ意識を学び、「F1地上の夢」では、好きなことをとことん追求することが世界に通用する技術力を持つ会社の原動力であったことを学び、「美味礼賛」では、辻 静雄という料理をまったく知らなかった男が、日本のフランス料理の歴史ひいては本場のフランス料理の流れや日本の和食の流れを変えたことを学んだ。

私が社会人になってから読んだもっとも優れたビジネス書といってもいいくらい、色々な具体的なことを教えられたような気がする。
それは、丸谷才一氏に「冷静沈着な斥候将校の書く報告文」と称されるくらい、ややこしい事柄を明晰に簡潔に表現し、読んですっきりと理解できる文章を書いたということも含めての話だ。

六十歳にも満たない年で亡くなられたことを本当に残念に思う。

唯一のなぐさめは、彼が取材して書いたF1の時代が、アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルといった、今では考えられないくらい豪華なドライバーがいた時代で、かつ、ターボエンジン全盛のF1が一番輝いていた時代だったことだろうか。

また、海老沢氏の長所を最もよく理解している丸谷才一氏がいて、同氏の提案で、辻 静雄(1993年死去)という日本の西洋料理の第一人者からの取材を通して、稀有といっていいくらい素晴らしい料理小説を書くことができたことかもしれない。

2011年9月19日月曜日

おいしいお酒の条件

「お酒は何が好きですか?」は、初めての顔合わせで飲みにいくと、必ずといっていいほど、聞かれる事柄だ。

ビール、サワー、ウイスキー、焼酎、日本酒、ワイン、発泡酒、ブランデー、グラッパ、カクテルなど、答えは色々とあるが、私の場合、よっぽどの安酒は別にして、その日の気候や、体調とか、一緒に出てくる料理、飲んでる相手、状況とかで、ころころ変わる。

だから、その時の気分、気分で、「やっぱりビールですかね」とか、「日本酒がいいですね」とか、適当に答えている。

しかし、それに対して、嫌いなお酒(まずいお酒)というのは、固定的ではっきりしている。
それは、自分が飲みたくないときに、酒を飲まなければならない状況だ。
具体的にいうと、人の悪口や仕事のグチを延々と聞かせる相手との酒の席だ。

当人としては、何かの気晴らしになっているのかもしれないが、聞いている方も不愉快になるし、そんなに思っているのなら、お酒を飲まない状態で思う存分言えばいいのにと思う。

そんなことを考えると、お酒を飲むということは、食事と比較しても、精神的な部分に左右される要素が強いと思う。

だから、そういうお酒の場で、気持ちよく過ごせる相手というのは、ある意味、おいしいお酒になるすごく重要な条件の一つだ。
不思議なことに、そういう人といくお店は、後で思い出してみると、よくあるチェーン店の居酒屋というよりは、きちんとしたバーやレストランということが多い。

お酒で、その人との相性が分かるというのは言い過ぎかもしれないが、気持ちよく飲むことができる人は、飲まないときでも、自分にとって信頼できる人であることが多い。

2011年9月18日日曜日

「伊達」が気になる…

宮城県に住んでいる人ならば、「伊達」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、「伊達政宗」だろう。

私も、そのイメージが強かったので、福島県伊達市を通ったときも、伊達氏にゆかりのある土地なのだろうなと思っていたら、果たしてそうであった。

(この伊達市の霊山こどもの村のコテージに、2010年夏に泊まったことがあります。霊山という小さいけれど峻厳さが伝わってくる山から吹きおりてくるひんやりとした風がここちよい緑にあふれたところでした。現在の放射能の状況を思うと胸が痛みます)

伊予宇和島の伊達家も、伊達政宗の長男 秀宗が秀吉の猶子(養子)となった過去があることから、政宗が徳川幕府に遠慮して廃嫡したのを、幕府側でも配慮し、伊予宇和島十万石に秀宗を封じ、伊達家とは独立の家をたてさせたことが始まりらしい。

また、北海道の伊達市も、明治維新以後、仙台藩一門亘理伊達家の領主とその家臣・領民が集団移住をして開拓したことが由来らしい。

さらに、坂本竜馬の子分的な存在で、明治維新後、ヨーロッパ各国との不平等条約の改正に尽力しカミソリと評された外務大臣 陸奥宗光も、陸奥伊達家の子孫という話を聞くと、「伊達家」は、日本の歴史に少なからぬ影響を与えていたのだなと感じる。

司馬遼太郎の「馬上少年過ぐ」は、その伊達家の中興の祖 伊達政宗をとりあげた作品だ。

政宗の父 輝宗が、当時、政宗の弟が跡継ぎと有力視されていた状況の中、伊達家にとって神格化されていた「政宗」という名前を、さりげなく継がせたことについて、

「…あずまえびすの土俗を濃厚にのこしていたこのあたりの風土のなかですでにこういう微妙な政治表現があったということをおもうことは、後世のわれわれにとって、くさむらのなかで白い花をみいだしたようなあざやかさをおぼえる。
伊達政宗という、あずまえびすの土くさい執拗さと反面いかにも近世人らしいみごとな政略能力をもった人物は、こういう人間環境のなかからうまれあがってゆく。」

と政宗の資質について、とても分かりやすい分析をしている。
非常に興味深い本でした。

ちなみに、「伊達男」という言葉も、伊達政宗が、秀吉に濡れ衣をかけられたときに着ていった「白装束」を見ておどろいた上方の人が「伊達男」と呼んだのが、語源らしいですよ。

2011年9月17日土曜日

熱を出したら…

昔、春先のころ、一人旅をしていて、旅の途中で熱をだしたことがある。

まだ雪が残っている黒部のあたりで、旅の疲れと寒さで風邪をひいてしまったものと思われる。

若かったからなのか、一人旅の引け目か、旅館のフロントに、風邪薬をくださいとも言えず、一人布団にくるまって、寒さに震えながら、ひたすら不安な夜をすごしたことがある。

朝になって、医者にも行かず、ほとんど、ふらふらになりながら、何とか、電車を乗り継いで、千葉の家にたどり着き、布団に倒れるように寝込んで、一晩中、汗をかいて、熱をさました覚えがある。

今は、医者に行くと、簡単に解熱剤をくれるけど、やはり、熱を出して、汗をかいて、体温を下げるという、昔ながらの熱のさまし方が、まっとうな風邪の直し方と個人的には思っている。

藤原新也の「ノア-動物千夜一夜物語」にも、旅の疲れが蓄積して、熱にさいなまれた作者が、数日間、ホテルの庭に面した椅子にただ座り続け、ひたすら熱が過ぎ去るのを待つ話が出てくる。

そして、熱が引いたとき、あたかも厳しい修行で自我を焼却して解脱したような状態になった作者は、ある動物と、平常時であれば、交感できなかったような不思議な出会いをする。
至福に満ちた話だ。

一方、自分はというと、やはり、自我や業を焼却しきっていないということなのだろうか。
今まで何度も熱を出し冷ましてはきたけれど、残念ながら、病みあがりでまず考えることは、美味いものを食べることと、女性のことです。

ロスト・ジェネレーション

映画「モダーンズ」に出てくる小男-娼婦にも馬鹿にされ、いつも酔っ払っているチョビ髭の青年。


その男の名は、アーネスト・ヘミングウェイなのだが、「老人の海」や、「武器よさらば」、「誰がために鐘は鳴る」などから受ける男らしい作家、各地の戦争に従軍したマッチョなイメージはない。

映画では、ヘミングウェイが、ガートルード・スタイン女史のサロンに出入りしているシーンも描かれているが、その舞台となるパリで発表された最初の長編が「日はまた昇る」だ。

短かく乾いた文体、バーやバーテンダー、酒の描写、内省的な主人公…ハードボイルド小説の源流を感じるような作品だ。

1926年の作品だが、登場人物の会話のやりとりを読んでも、違和感をあまり感じないのはなぜだろうか。

スタイン女史は、ヘミングウェイやフィッツジェラルドの世代を「ロスト・ジェネレーション」と呼んだ。

日本でも就職難の若者たちを「ロスト・ジェネレーション」と呼んだりするが、先が見えない閉塞的な時代感覚という意味では、第一次世界大戦後の世界と今は、意外と共通点が多いのかもしれない。

2011年9月15日木曜日

死にクジラ

クジラたちは、漁師が《死にクジラ》と呼ぶ恰好をすることがあるが、それは他の個体から離れて孤立している成獣の場合に限られる。

《死》んだクジラは、まるで深い眠りに陥ちたもののように、表面的にはなんの努力もせずただ浮いて、海面を漂流しているようにみえる。

漁師たちによると、クジラがこういう恰好をするのは、重い凪のときとか、太陽が容赦なく照りつける日にかぎるというけれど、じつのところ、クジラ目をおそうこういった仮死状態の真の原因は、現在まだ解明されていない。

「島とクジラと女をめぐる断片」/アントニオ・タブッキ より

2011年9月14日水曜日

初めてのデート

初めてのデートの時、相手がどんな服装で、どんな風に現れるのかは、やはり気になることだと思う。
だから、相手が現れる前に待ち合わせ場所に行って、ドキドキしながら考えているほうが、絶対に楽しいと思う。

映画「DIVA」のなかで、郵便配達員のジュールが、憧れているオペラ歌手のシンシア・ホーキンスと初めてデートをする時のシーンがとてもいい。

シンシアは、パーティーが別にあって、ジュールとの待ち合わせには来ないかもしれないというシチュエーション。ジュールがカフェバーで待っていると、彼女は笑いながら、夜店のアクセサリー売りの男を伴って現れる。
彼女が連れてきたというより、売り子が彼女の魅力に惹かれてついて来てしまったという感じだ。
シンシアが「お店ごと、買っちゃった」と笑いながらいうと、売り子は彼女を「アフリカの女王だ」と評す(シンシアは黒人です)。それに対して、彼女に恋しているジュールは「夜の女王だ」と訂正する。

私が、このシーンにとても惹かれるのは、シンシアの登場のしかたが意表をついていて、かつ、贅沢な印象を受けるからだと思う。

初めてのデートの時に、こんな風に彼女が現れたなら、まず間違いなく恋に落ちてしまうような気がする。

その後の、夜明けのパリの街を二人で歩くデートのシーンも、音楽・映像ともに、すごくいい。
映画「DIVA」のなかで、一番好きなシーンです。

2011年9月13日火曜日

観たい映画!


よく、HMVなど行って、DVDコーナーを探してみるのだが、観たい映画のDVDが、なかなか見つからない。

私の今、観たい映画は、

フランソワ・トリュフォー  「隣の女」
ケン・ラッセル        「恋人たちの曲・悲愴」
レオス・カラックス     「ボーイ・ミーツ・ガール」
鈴木清順          「カポネ大いに泣く」
アンジェイ・ズラウスキー 「ポゼッション」

です。

トリュフォーの 「隣の女」は、お互いにどうしようもなく惹かれあってしまう男女というのは、本当にどうしようもないなと感じさせる映画だ。それでも観たいと思うのは、やはり、トリュフォーが真剣に作っていることが伝わってくるからだろうと思う。

ケン・ラッセルの映画は、B級映画すれすれのところをいっているが、今の映画には望むべくもない、とてつもないパワーをありありと感じさせる。この映画も、相当昔に見たのだが、映像の部分部分が頭から消えていない。

カラックスの「ボーイ・ミーツ・ガール」も、昔みて、すごく印象に残っている映画だ。
私は、この映画を観た後、しばらく、スノードームの収集マニアになった。

鈴木清順は、日本では珍しく、映像美を追求した映画を作る監督だ。
この「カポネ大いに泣く」は、いつかじっくり見てみたいと思っている映画なのだが、なかなか機会が訪れない。

アンジェイ・ズラウスキーの「ポゼッション」は、とにかく、イザベル・アジャーニが可愛い。
まだ、壁が崩壊していない東西冷戦時のベルリンを舞台にした映画で、何とも言えず、静かな緊張感が漂っている映画です。

たぶん、ネットでなら手に入る作品もあるんでしょうね…

2011年9月12日月曜日

空港の空き時間

海外へ行くときの空港のチェックインの待ち時間。
やることもなくて、ついつい空港の中の書店で立ち読みをして、普段なら、まず手に取らないだろう本を買ってしまう。

それも、根がまじめなせいか、推理小説や恋愛小説ではなく、英語併記の格言集(ひゃーはずかしい)などを、よく買ってしまう。

そして、飛行機の中で、その本を読むかというと、そんなこともなく、音楽を聴き、食事を食べて、ワインを飲んで寝てしまう。
(もちろん、旅行中も読まない)

帰ってきて、荷物の整理をしていたら、こんな本、何で買ったのだろうと怪訝に思いながら、本棚の奥のほうに、本をしまう。

そんな訳で、私の本棚の奥には、格言集が5冊ほどある。

久々に手にとってみて、ぱらぱらとめくると、なかなか含蓄の深い格言が載っているので、引いてみよう。

Don't except life to be fair.   人生を公平だと思うな。  -ケネディ家の家訓
(確か、村上春樹の「風の歌を聞け」でも引用されていたと思います)

If you resolve to give up smoking, drinking and loving, you don't actually live longer; it just seems longer. 
タバコ、酒、そして愛することをやめる決意をしたところで、実際に長生きするわけではない。ただ、長く感じるだけのことだ。   -クレメント・フロイド

I'm sort of a pessimist about tomorrow and an optimist about the day after tomorrow.
明日についてはいくらか悲観主義者で、明後日については楽観主義者   -エリック・セバライド

It isn't that they can't see the solution. It is that they can't see the problem.
解決策が分からないのではない。問題が分かってないのだ。  -G・K・チェスタートン

It is not enough to be busy; so are the ants. The question is: What are we busy about?
忙しいだけでは十分ではない。蟻だって忙しい。問題は、何をしていて忙しいかということである。
-ヘンリー・デビッド・ソロー

Courage is grace under pressure.
勇気とは、窮しても品位を失わないことだ  -アーネスト・ヘミングウェイ

2011年9月11日日曜日

池澤夏樹の「春を恨んだりはしない」

有名な小説家が書いたものという点で、今回の震災について、もっともはやく出版された本ではないだろうか?

薄い本だが、著者自身、震災の全体像を描きたかったと述べているとおり、内容が多面的で、読んでいて色々な思いがよぎる本だ。

著者自身が被災地に行って感じたこと、被災者の言葉、死者に対する思い、自然と人間との関係、ボランティアの意味、エネルギー政策に関する提言、政治への期待、日本という国の局面が変わることに対する期待…

それらは、3.11以降、私たちが、日々、直接的・間接的に体験し、考えてきたことと元になるベースは変わらないはずなのだが、私自身は、あの時に感じた思いが随分と薄くなってしまっていて、かつ、日々感じていたことを忘れ、整理できていない自分に気づかされた。

土地や家を失い、故郷にも帰れず、家族や親類、友人、動物と離れ離れになった人たち、未だに仮設住宅に入れず避難所や津波の脅威にさらされる家に住む人たち、食糧配給を受けている人たちは半年経った今でもいるのだ。
その人たち一人一人の人生を想像すること、感じ取ること、そこが、まず第一歩。

特に放射能の問題については終わったわけではなく、これからも、その脅威は継続する話なのだと、再認識させられた。
(今日の東電の記者会見では、原発事故は半年経った今なお、収束に至っていない旨の見解が発表されている)

そして、取り返しがつかない状況になってしまったと感じるは、これから、私たち自身、そして私たちの子どもや孫に癌が発生する可能性に脅え、暮らしていかなければならないという重い事実だ。

それらすべてを決して忘れないこと。そして、そこから日本のこれからを考えてみようというのが、この本のテーマなのだろう。

非常に重いテーマだが、個人的にはこういう本を早く読みたかった。

2011年9月10日土曜日

そんなに大事な情報って何ですか?

少し、大人気ないことを書く。

いつからだろうか?

以前は、電車の車両で携帯端末をピコピコやっている人が目に付いたが、今は、電車を降りて、駅の階段を上り降りするときも、画面から目を離さず、とろとろ歩いている人を、かなり多く目にする。(携帯だけでなく、マンガやゲーム機も)

歩きながらは、なにより周りの迷惑だし、いい年した大人だと、よけいみっともない。
私の個人的な感覚からすると、そういう人は時間を有効に使っていない感じがする。

どうしても、字を打つなり、メールや映像を見たければ、ベンチに座って思う存分やってから歩き始めればいいのだ。

そんなに大事な情報って何だろう?

今朝、新聞に載っていたようなエア・フォースワンの飛行計画なんかがブログで見られるなら話は別だが、インターネットの情報は、大概知らなくてもいいような情報が多く、底が浅い。
(自分がブログをやっておいてなんだが)

それと、電車の優先席に堂々と座って、じーっとスマートフォンをいじっている若い人も、結構多い。目の前に年配の人が立っていても、平然と画面を見つめている。
恥ずかしくないのかな。

震災直後、こういう、なんというかみっともない光景は、一度吹き飛んだような気がしたのだが、最近また、よく目にするようになった。

あれから、まだ半年ですよ。

2011年9月9日金曜日

池澤さんちの娘さん

今回の震災に関して、日頃、よく読んでいる作家のコメントを、ホームページで見た。

① 村上春樹さんのスペインのカタルーニャ国際賞授賞式でスピーチ
② その村上さんに対する藤原新也さんの批判
③ 山崎正和さんの「震災克服の展望」
④ ドナルド・キーンさんの日本への帰化宣言
⑤ 丸谷才一さんの「そのときは皇居を開放せよ」
⑥ 池澤夏樹さんの3.11

インパクトを受けた順番でいうと、③、⑤、②、④、⑥、①かな。

あれだけの大きな出来事だったので、皆さん、色々考えて本をまとめられているところなのだろうが、やはり、インターネットのよさは、即時性だろう。その良さがでているのは②だと思う。

③の山崎正和さんのコメントを最初に新聞で読んだ時、この人は本気でこんなことを考えているのだろうかと思ったが、今の状況では、原発稼働の問題が根本的に解決しない限り、日本から海外への工場移転が進むのだろう。
(今日の新聞では、韓国が、かなり日本に比べて好条件らしい。電気料・人件費は日本の3分の1、法人課税税率は2分の1のほか、FTA(自由貿易協定)をヨーロッパと締結していて関税面でも有利らしい)

④のキーンさんのコメントは、日本の歴史を見通してきた識者の重みと温かさがある。

⑤の丸谷さんの主張は、言われてみて、あっと思うような考えだ。
目に見えないタブーに風穴をあけるところが、いかにも丸谷さんらしい

①は、ある意味、そうですねと多くの人が支持しそうな意見だが、インパクトという点では、ちょっと弱い気がする。

個人的に一番、被災者目線で、共感できたのは、⑥の池澤さんのコメントだろうか。
著書の「楽しい終末」の原発の文章も久々に読んだ。そうです。みんな、気づいていたんだよね。

ただ、正直にいうと、これらの名だたる方々のコメントより、インパクトを受けたのは、池澤夏樹さんの娘さん 池澤春菜さんのブログだった。(何だ、そりゃ)

ケロロ軍曹などのアニメの声優をやっているのも驚いたが、神奈川県川崎市育ちということで、2度ビックリ。(親父さんとは別々に暮らしてた?)

また、震災後のブログをパラパラと読んでいたら、なかなか、知恵があって生活力のある女性であることが分かった。池澤夏樹の作品「マリコ/マリキータ」に出てくる女性に近いイメージを感じた。
(親父さんに対するコメントは出てこないが、なんとなく、飼っている犬が親父さんぽい)

しかし、結論からいうと、こんな娘さんを育てていながら、読者に対しては、あくまで自分のスタイルを維持する池澤夏樹さんの人間としての器が大きいということに帰結しそうである。

2011年9月8日木曜日

幸と不幸の量は皆ひとしく同じ

山岸涼子の「白眼子」は、読んでいて、色々と考えさせられる作品だ。

運命観想を生業にする盲目の男、白眼子と、戦後の混乱で迷子になって、
その白眼子に拾われる少女、光子との不思議な縁を描いた作品。

その白眼子が、死に近い間際、光子にこういう。

『…試練は人を強くさせる
わたしの所へ色々な人が災難をさけてくれとやって来た。
だけど、本当は災難はさけよう、さけようとしてはいけないんだ。

災難は来るときには来るんだよ。

その災難をどう受け止めるかが大事なんだ
必要以上に幸福を望めば、すみに追いやられた小さな災難は
大きな形で戻ってくる…』

何だか、今の日本を示唆しているような言葉だ。

物語には、白眼子の不思議な力にあやかろうとすり寄ってくる俗物もいて、
やり手の実業家が、どんどん事業を拡大し成功する話が出てくる。

しかし、「どうやら、人の幸・不幸はみな等しく同じ量らしいんだよ」という
白眼子の言葉どおり、その実業家は、突然死んでしまう。

何かを必要以上に望めば、何かを失う。
だが、それを分かっていても、人は必要以上に何かを望むのが常だ。

白眼子の言葉は、かつてはあったが、今や誰も口にしなくなった
「節度をもった生き方」ということなのだろう。

しかし、私たちはすでに、こういう生き方を見直すことが迫られている
分岐点に来ているのかもしれない。

2011年9月7日水曜日

タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」

「アンドレイ・ルブリョフ」は、ロシア最高のイコン(聖像画)画家といわれるアンドレイ・ルブリョフを描いたアンドレイ・タルコフスキーの3作目の作品です。

この映画の最大の魅力は、物語の最後のほうで出てくる「鐘」の話だろう。

タタール人の襲撃から白痴の女性を救うため、殺人を犯してしまったルブリョフは、10年間の無言の行を自ら課し、助けた女性の裏切りもあり、絵を描くのも止めてしまう。

その後、ルブリョフは、鐘づくりの名匠である父親から鋳造の秘密を教わったという少年が、教会の巨大な鐘の鋳造に懸命に取り組む姿とそれを支える人たちを見守る。

そして、鐘の鋳造が進むうちに次第に少年は自信を喪失していくが、多くの人々が見守るなか、鐘は見事に鳴る。

歓喜に沸く人々から離れて、「本当は父親は秘密を教えてくれなかった」と告白し、一人泣き崩れる少年を抱きしめ、「もう泣くな。わたしと一緒に行こう。わたしもまた絵を描く。 おまえは鐘を作れ。」と、やさしく語るルブリョフの復活のシーンが心を打つ。

「僕の村は戦場だった」同様、タルコフスキーの映画のなかでも、ストレートなメッセージが伝わってくる例外的な作品のような気がする。


2011年9月6日火曜日

もう秋だ…で始まるのは、有名なフランスの詩人ランボーの「地獄の季節」にある「別れ」の一節だが、夕方、影が長くなっているのを見ると、もう秋だ…と思う。

東京では、影の長さを感じることは少ない。

影が映えるのは、大きな壁や柔らかい稲穂が実った田圃のような広い平面が必要だ。

昔、田舎に住んでいたころは、ガソリンスタンドの店舗のひかりが作りだす、自転車で移動する自分の影が、黄金色の稲穂のうえで、二重三重にほのかにぶれて、次第に重なって一つの濃い影に変わっていくさまをみるのが好きだった。その間、5秒程度だが、いつも、ペダルを踏むのをやめ、車輪がカラカラ音を立てるのを聞きながら、よそみをして影にみとれていた。

私にとっての秋は9月中旬から下旬ごろ。記念日も何もないのに、おかしな話だが心の中で「黄金週間」と名づけている。

9月は、いつも、秋っぽい何かがしたいと思う。
しかし、その何かが何なのか見つけられないまま、あっというまに10月になってしまうことが多い。

2011年9月5日月曜日

司馬遼太郎の「木曜島の夜会」

歴史上の有名人物を主人公にした歴史小説を多く書いた司馬遼太郎ですが、
「木曜島の夜会」は、ちょっと毛色が異なるが、「日本人」を考えるうえで、面白い本です。

明治初年から太平洋戦争まで、オーストラリア北端の木曜島(Thursday Island)海域で、
白蝶貝(真珠貝)の採取に従事した多くの日本人ダイバーを描いた作品です。

死亡率10%という危険な仕事であったが、ほとんどの日本人が、ダイバーの仕事に、
一生をささげ、安全が担保されている親方にはなろうとしなかったといいます。

魏志倭人伝にも、「面を鯨し、…倭の水人、好く沈没して魚蛤を捕ふる…」とある日本人の
性質は、大昔から続いていて、たとえば、木曜島のダイバーには中国人は一人もいなかった
そうです。

(面を鯨しとは、顔や体にいれずみをすることをいい、大魚をおどかすためといわれています)

最初は金儲けのつもりで潜っていたのが、だんだんと面白くなり、人より1トンでも多く
の貝をとることに熱中してしまう傾向が、日本人にだけ、あったといいます。

このような日本人の性質を、山崎正和が、司馬遼太郎との対談集「日本人の内と外」で、
こう述べています。

「日本人にとっては、ある一つの技術を身につけることが特別な意味をもっているんですね。
なにか具体的な仕事ができることが大好きで、それを尊敬する風潮が鎌倉ごろからあって、
やがて『その道一筋』という倫理さえ生まれてきてますね。」

この傾向、自分にもあると感じませんか?。

口では偉そうなことを言っても、具体的な実務ができない人は、ダメと思ってしまうことは
ありませんか?

(人の悪口でも、こういう話はよく聞きます。そして、うん、そうそう!と私もよく思います)

技術至上主義、職人気質とでもいうのでしょうか。
でも、これって日本人の美質ではないか、とも思っています。

2011年9月4日日曜日

通り雨

関東は、この週末、ずっと変な天気でした。
急に、空が暗くなったと思ったら、ザーッと雨が。


3、4分、風まじりの激しい雨が続いた後、空が急に明るくなりました。



台風の被害が、これ以上、拡大しないことを切に願っております。

アントニオ・タブッキの「島とクジラと女をめぐる断片」

前回、南洋の話を書いたので、その続き。

アントニオ・タブッキの「島とクジラと女をめぐる断片」は、不思議な本だ。

大西洋のまっただなかにあるアソーレス諸島を舞台にしたクジラと難破船
にまつわる話だのだが、クジラと難破船は、あくまで隠喩であり、作者が
言いたいのはそれに仮託した別の何かなのだ。

神話、失望、破滅、希望、孤独、死、女、クジラが陥る深い眠り…

これらを詩的なイメージで書いた文章の断片から思い浮かぶ何かは、
まるで水中に何回も潜った後、陸に上がると、耳元にかすかに残っている
波の音の感覚に似ていている。

翻訳者の須賀敦子がつけた美しい表題「島とクジラと女をめぐる断片」に、
まず惹かれてしまって読んだ本だ。(原題は、「ポルト・ピムの女」)

そして、読後も、この表題の期待を裏切らない本だと思う。



2011年9月3日土曜日

蚊取り線香

夜、蚊にさされて、痛かゆくなって目を覚ますことぐらい、腹立たしいことはない。
昔、5,6箇所さされて、ショックのあまり、泣いてしまったことがある。

O型って、さされやすいみたいです。

最近も、それに近いことがあり、夜中にコンビニに行って、アースノーマットを
買おうと思ったのだが、品切れで、仕方がないから、蚊取り線香を買った。

あの特有の煙が鼻についたが、使い始めていくうちに、何となく、いい匂いに
感じるようになってしまった。

そんな訳で、今夜は蚊もいないのだが、蚊取り線香をたいている。
緑のぐるぐるしたうずまきの線香から立ち上るけむりをみていると、不思議に
心が落ち着く。

なんか、癒されています。アロマテラピーのように。
でも、燃え尽きた後の灰は、恐竜の骨のようでもある。




カンフーパンダ2から、中島敦の南洋へ

映画館で「カンフーパンダ2」を観る。

パンダの仲間のカマキリが、敵に捕らわれたときに、
「どうせなら、メスに食べられて死にたい」と言ったのに、ちょっと
笑ったが、虎・猿・鶴といった仲間たちと戦うパンダを見ていて、
私の頭は、ふと「西遊記」を思い浮かべていた。

「悟浄歎異」
中島敦のこの作品を読んだのは、ある大学の赤本の国語の問題文だった。

天才的な悟空、欲深い八戒、慈愛に満ちた三蔵法師のなかで、なんとなく
影が薄い悟浄が、三人を分析するこの短編を読むと、心が落ち着く。
(思い出してみると、悟浄も不眠症にかかっていた)

晩年(といっても、中島敦は三十三歳で早逝した)、南洋に関する作品
「環礁」を書いている。

南方の気だるさとはかなさを秘めた人々、病気に侵された作者、突然のスコール…
中島敦の文章は、宝石のように美しい漢語がちりばめられていて、読んでいて、
気持ちがいい。

中でも、「夾竹桃の家の女」という短編は、彼の作品の中では、めずらしく、
エロチックなシーンがあって興味深かった。

だいぶ、意識がパンダから離れてしまった…
(悪い作品ではないと思います)

星が見えない夜

天気予報では、台風が来るはずなのだが、雨は降らない。
湿った空気だけが部屋に吹き込んで、気づくと額にじっとりと
汗をかいている。

昔、よく夜になると、うちの庭を散歩していた。
田舎の夜は、街灯もなく真暗で、星がとてもきれいに見えた。
星座には詳しくなかったが、北斗七星や、Wのカシオペアは、
分かった。
星がよく見えると宇宙が近くに感じるものだ。

ハッブル望遠鏡がない子供のころ、岩崎賀都彰が描いた
超リアルな天体画が、好きだった。
「太陽系45億年の旅」だったと思う。
(ちなみに、太陽系が生まれたのは45億年前だそうだ)

その本の中に、宇宙の果てを書いた想像画が載っていて
いたのが印象に残っている。

絶対にたどり着かない空間。
死んで精神だけの存在になったら、念じただけで移動
できるのだろうか?

でも、精神だけの状態が永遠に続くとしたら、たぶん気が
狂いそうだ。
終わってすべて無になる方がやっぱりいいと思う。

もしくは、ハードディスクを初期化するように、記憶を全部
消し去って、新品の何かになる。

何になるのだろう。

そんなことを何回となく考えるが、やはり眠りは訪れない。

2011年9月1日木曜日

Norwegian Wood

ビートルズの「ノルウェイの森」は、アルバム「ラバーソウル」の中でも好きな曲の
一つだ。

そして、この曲が好きになったきっかけは、多くの日本人がそうであるように、
村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだのがきっかけだった。

すっぽりと穴に落ちたように、その小説の世界に浸って読むことは、今となっては
ない経験だが、村上春樹の「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」は、その
数少ない例外だ。
(どちらも1980年代の作品で、私の好きだった時代。)

その村上春樹の最近の本「雑文集」で、「ノルウェイの森」についてとりあげた文章
があるのだが、読んで長年の疑問が氷解したような気がした。
(興味がある方は、読んでみたらいかがでしょう)

皆さんも、好きな外国のアーティストのCDの歌詞カードは読むと思うのだが、
この「ノルウェイの森」の歌詞の意味は、何度読んでも、Norwegian Woodの意味が、
理解できなかった。女の子の家に泊まり、朝起きると彼女はいなくなっていた話と、
どう関係するのか、納得がいかないのだ。

女の子の家が、ノルウェイ材の部屋とか家具とか色々諸説があるようです。
しかし、一曲の短い詩で、これだけ諸説があること自体、この歌の魅力〔不可解さ〕が、
よく分かる。
ただ、個人的には、「雑文集」の説は、かなり納得感があるという感じだ。

なお、村上春樹の作品にも、この曲にインスパイアされたようなシーンがある
小説がある(「羊をめぐる冒険」)。

個人的には、朝起きると、何故か、彼女がいなくなっているような状況は、
避けたいと思っている。
カフカの「変身」のように、虫になるよりは、マシだと思うけど。