2015年6月6日土曜日

酒宴 吉田健一/日本文学全集 20

吉田健一の作品には、酒がテーマになっているものが多いが、彼がいかに酒を飲むのが好きだったのかが伝わってくるものが多い。
本当をいうと、酒飲みというのはいつでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、というのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止っていればいいのである。
という、ある意味ものすごいことを、さらっと述べている「酒宴」もその一つだ。

作者が、銀座の蕎麦屋「よし田」で、灘の酒造会社の技師と意気投合し、場所を八重洲に移し、朝まで飲み続け、勢いで、灘の酒造会社の工場を見学することになる。見学も終わり、その会社の関係者と宴会を行うことになるのだが、皆、酒豪揃い。「献酬」という、差しつ差されつという表現では甘いと感じるほど、壮烈な杯の交わし合いがはじまる。

そんな、のっぴきならない状況の中でも、吉田健一の心の中は至って平静で、可笑しいのは、心の中で、周りにいる猛者たちを、酒量によって、七石、四十石、七十石とあだ名をつけて、酒が体に流し込まれる様子を工場のタンクに大量の酒が流し込まれるようなイメージで描いているところだ。
こうなると、酒はもう飲むというものではなくて、酒の海の中を泳ぎ廻っている感じである。海は広くても、それが飲み乾せるし、又飲み乾したいと思う所に、普通の海と酒の海の違いはあるのだろうか。海はどこまでも拡がっていて、減った分だけ又自然に湧いて来るから、飲み乾したくて飲む喜びは無限に続き、タンクが幾つあっても足りることではない。
酒を飲むという行為を、こんな壮大なイメージで、かつ上品に文章に表すことができたのは、吉田健一だけかもしれない。

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