谷崎潤一郎が二十五歳の時に書いた自伝的な作品だ。
今読むと、後の自伝的小説「異端者の悲しみ」の原形のような作品だったことが分かる。
金のない放縦な大学生活、死への恐怖と飲酒癖、家族との葛藤。
その中でも面白いのは、寝起きの悪い谷崎(この作品では山崎禄造という名前)を起こそうとする父母とのやり取りである。
谷崎の父母は生粋の江戸っ子だったから、その口調は文字にしても実に活き活きとしていて、聞いている側が楽しくなってしまうような魅力がある。
谷崎がわざと寝起きを遅くしていたのは、親への反抗心もあるのだろうが、この一際、ことばに敏感だった男は、両親が歯切れよく放つ話し言葉を聴くことに一種の快楽を覚えていたのではないだろうか。
特に相場師だった父親について、谷崎はその日常の仕草を面白おかしく取り上げているが、実直な好人物だったことが分かる。
相場師のくせに、女を買わず、借金をせず、嘘を言わず、極めて融通が利かない。
料理のできない妻に代わって、本を読みながら料理を作ったり、訪問販売の男が主婦と怪しい関係になる「出歯亀事件」が起きているという記事を新聞で読み、たまたま化粧品を売りにきた苦学生を追い返してしまう。
向田邦子が描いた昭和初期の頑固な父親への愛情のこもった視線と変わらないようものを、そこに感じる。
本作のタイトルは、金のない二人の学友と共に、その場しのぎの欲望のために質に入れてしまった2つの時計の事を指しているが、ジェローム・K. ジェロームの「ボートの三人男」(Three Men in a Boat)にちなんで、Tree Men with Two Watchesという小説を書いてみたらどうか、という戯言から付けたらしい。
「ボートの三人男」は、丸谷才一訳で読んだことがあるが、いかにもイギリス小説らしい、ほのぼのとしたユーモア小説である。
谷崎も、この時、すでに原文で読んでいたのだろうなと思うと、 いい加減な生活を送っていたようで、読むべきものは読んでいた彼の学生生活が想像される。
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