飈風(ひょうふう)、つむじ風の意味だと思う。
「惡魔」同様、谷崎が神経を病んでいた時期に書かれた短編小説で、そのテーマも、いかに過度な性欲、淫蕩が、男を駄目にするかという点で共通している。
物語は、二十四歳の日本画家 直彦が、 吉原で知り合った芸者と経験を持ち、それに耽るうちに、「だんだん血色が蒼褪め、頭が晦くなって、何事をするにも慵い億劫な気分になり、遂には全く生活の興味や張り合いを持たなくなって、あれ程体内に根を張って居た欲求の力さへも失って」しまうところから始まる。
直彦は、自分の命の危険を感じ、それから遠ざかるために、東北に旅に出ることにする。
温泉につかり、滋養のある食べ物を食べ、部屋でごろごろする。
「蓄積された○○をabuseしないように、○○○○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○○、丁度一杯に満たされた羹の器を捧げるような気持で眠った。」
(○は、原文でも伏字されている)
その甲斐あって、彼の欲望は復活するが、今度は何をしても、それ以外考えられなくなってしまう。
しかし、恋人との約束があるため、旅先での女関係を持つことができない。
そんな中、汽車の車中で、癩病(ハンセン病)を患っている兄妹を見つけ、直彦は親身になって、宿の手配などをしてあげるが、彼の頭の中には、「娘の器量の人並み勝れて美しい事も、水々しい肉附きも、癩病と云う越ゆべからざる垣根のある爲に、安心して近寄ることが出来るように思われた」という打算があった。
彼の禁欲の旅はその後も続くが、一番の危機は、臀の下に出来た腫物の膿みを絞り出す作業を行った宿の女との関係だったろう。
しかし、それも我慢し、 直彦は、ついに半年後、恋人の元に戻る。
彼の堪え続けた欲望は頂点に達していた。そして、それを解放した時…。
女性の鼻の穴、白い肌、腫物に対するフェティシズムは、谷崎がその後書いた物語にも出てくるが、特に、この物語では、真っ赤になった腫物の描写が、生々しく描かれており、直彦の抑えきれない激しい欲望を暗示している。
同時期、東京日日新聞の連載小説として書いていた「羹」 が、明治末期の青年のごく常識的な生活を描いている一方、この「飈風」は、性欲の制御という、昔も今も変わらないテーマに正面から取り組んでいるせいか、前者に比べて、圧倒的な迫力を感じる。
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