谷崎の小説に出てくる女性は、堅気の女性も含め、ほとんどが玄人っぽい雰囲気を持っている。
それは、谷崎の好みが、男を怖がらず、対等以上に振る舞う気の強い女性に偏っていたからかもしれないが、そのせいか、皆、すれっからしの藝者のような言葉を使う。
これは、まだ、明治・大正・昭和初期という時代では、実際、男と対等以上に張り合うことができたのは、水商売の玄人しかいなかったからかもしれないが、例えば、夏目漱石は、現実にそんな女性はいなかったとしても、現代の自立した女性に近い雰囲気を持つ、虞美人草の藤尾や三四郎に出てくる美禰子を描いている。
しかし、そういった健全な女性は、おそらく、谷崎のマゾヒティックな性的欲望を満たしてくれる対象ではなかったのだろう。彼は、やはり、「刺青」に出てくるような悪女に強く惹かれていた。
この「お艶殺し」 に出てくるお艶も、その系譜にある女性だ。大きな呉服屋の主人の娘でありながら、男を手玉に取るような悪女ぶりを発揮し、悪人に騙され、本物の女郎に身を落としながらも、売れっ妓の藝者になる。そして、その犠牲者、肥しとして、お艶に唆され、駆け落ちし、人生を狂わされ、人殺しになってしまう男が使用人の新助だ。
読んでいて感心するのは、そういう悪女を描く場合、どこかしら、現実味のない、地に足つかない女性に陥りがちなのだが、 この物語で描かれているお艶は、どっしりとしていて、年季の入った悪女ぶりを感じさせてくれる。
それは、彼女が男に対して放つ女郎言葉が、堂に入ったものに感じられるからかもしれない。
たぶん、谷崎には、そんな江戸の風情を残した色っぽい言葉を話す女性と付き合う機会があったのでしょうね。
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