谷崎の自伝的小説として、「神童」 、「鬼の面」、「異端者の悲しみ」の3部作がある。
「神童」は、谷崎の小学校から中学(今の中高一貫校)までの時代を描いていているのだが、とても面白い興味深い小説だ。
第一に、題名にもあるが、谷崎(この物語では瀬川春之助)の「神童」ぶりがすごい。
学期試験が毎回首席というのはもちろんだが、小学4年の時の作文の時間に、五言絶句の漢詩を作り、教師を驚かせ、高等2年(今の小学校5、6年生)の頃には、四書五経を読み、儒教の感化を受け、仏教の教本まで手を伸ばし、寺に仏書を借りに行く。
さらに英訳のプラトン全集を古本屋で購入して熟読し、ドイツ語も独学で学び、ショーペンハウエルまで手を伸ばす。
その知力にも驚くが、谷崎が少年時代、実は哲学に傾倒していたというのも意外な感がある。(学校では「聖人」というあだ名だった)
第二に、 彼が中学進学の学資を得るため、家庭教師として住み込んだ木綿問屋の人々が面白い。
木綿問屋の主人の後妻的立場にある藝者あがりの美しいお町、その娘のこれも美貌の鈴子、家庭内で権力を持つお町に追従する女中のお久とお新、そして、先妻の子供のせいか、お町や女中から迫害を受けている落ちこぼれの玄一と、唯一実直な女中のお辰。
贅沢と物欲、陰険な人間関係に溢れた家の中で、その悪徳を認識しながらも、その悪の魅力に共感し、手下のように追従し、哀れな玄一を迫害するような行為をする自分の心持ちを、客観的に(どちらかというと偽悪的に)描いているところが、いかにも谷崎らしい。
第三に、年頃になって、性に目覚めつつある自分の体と心を、ほとんど隠そうともせず、実に明け透けに描いているところもすごい。顔中に出来てしまったニキビや、女性の美に対する憧れ、自慰の習慣。
そして、そのせいか、彼が築きあげてきた知力や聖人となることの意志にかげりが見えはじめる。
第四に、そんな自己の変容ぶりを、実にポジティブに転化させている結末だ。
「恐らく己は霊魂の不滅を説くよりも、人間の美を歌うために生まれて来た男に違いない」
そう自己分析し、詩と藝術に没頭することを決意する自分を讃美しているようにも見える。
谷崎がいかに自分の天才を疑わず、自信家であったかがくっきりと表れている。
谷崎の初期の作品のなかでも、ひときわ、谷崎らしい小説と言ってもいいかもしれない。
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