彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。 モリス・ブランショ』
こんなすてきな言葉からはじまるアントニオ・タブッキの「インド夜想曲」は、私が長いこと小説を読みとおすことができなくなってしまったときに、試しに読んで、ひさびさに最後までたどり着けた小説だった。
主人公がインドで失踪した友人を探すという推理小説のような展開で、ボンベイ、マドラス、ゴアといった都市を舞台に、主人公のどことなく冷めた視線で切りとられるインドのさまざまな事象が十二の夜の物語として描かれる。
それまで、私が知っていたインドは、藤原新也の「東京漂流」「印度放浪」をとおして得られた強烈な太陽光と黒い肌のサドゥー(修行僧)、そして水葬された人を食べる野犬たちがいる「メメント・モリ(死を想え)」的なインドだ。
私にとっては、死生観が変わるくらい影響を受けた本だった。
タブッキの描くインドには、そのような強烈さはない。
この本の主題は、あくまで主人公の内的な自分探しの旅であるから、その流れをこわさないためにも、インドは幻想的な雰囲気につつまれたままであることが必要なのだ。
F1インドGP、ITビジネスの発展、インド式計算、核ミサイル、世界第二位の人口…
ニュースで知るインドは、私にとってどこか遠い国の別のインドである。
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