エリアーデの「オカルティズム 魔術 文化流行」では、宗教学から見るとサブカルチャーとも言える”魔術”について、様々な事例が紹介されている。
イタリアの異端審問所の1575年3月21日の記録によると、秘密結社の夜会について、その成員は、眠っている間に霊の状態で出かける(「旅」に出る)のだと主張したという。
「旅」に出る前に、彼らは激しい衰弱、昏睡状態に陥り、その間彼らの魂は肉体を離れることができるらしい。
1691年の裁判記録には、86歳のリトアニア人が、狼の姿で魔王と戦う告白があった。
彼とその仲間たちは狼に姿を変えて「海の果て」(地獄)に歩いていき、そこで、魔術師に盗まれた家畜、小麦、大地の産物を地上に取り戻すために、魔王や魔術師と戦うのだという。
1235年の南フランスの異端審問所の記録によると、ある婦人が、女主人に、地下に連れて行かれた。そこには、たいまつを持った多くの人々が集まっており、大きな容器に水を張り、魔王の来臨を乞う儀式が行われていた。すると、一匹の気味の悪い猫が姿を現し、尾を水に浸したという。
そして明かりが消され、人々は手近にいる者を捕らえて相手かまわず抱き合ったという証言がなされている。
(魔女のサバトの特徴としては、地下での集会、サタンの償還と来臨、消灯とそれに続く相手かまわぬ性交が要素になっているらしい)
このような行為については、悪魔的行為とみなされ、厳しい処罰を与えられたが、ユダヤ教でもキリスト教でも、性生活の神聖性を徹底して根絶することは出来なかったという。
そして、儀礼的裸体と儀式上の自由性交は、幸福な人間存在へのノスタルジア-「堕落」以前の楽園状態の至福を奪還しようとする努力であり、人間を救済することに失敗したキリスト教的体制に対する反抗-とりわけ「教会」の堕落や教会的階級組織の腐敗に対する反抗を表していたという考えが述べられている。
エリアーデはこう説明した後、現代では、これに類する事態が現代では主として若者文化に起こりつつあると述べている。
例えば、自然との親交、儀礼的裸体、無制限な性の解放、現在にのみ生きようとする意志、オカルトへの関心、占星術の蘇生、非キリスト教的な救済手段(ヨガ、タントラ、禅など)の発見と習得等。
エリアーデは、この小論を1974年のアメリカ シカゴ大学で書いた。
現代の日本を考えると、既成の体制(政治・社会・会社・学校)への全体的な不満があるのは間違いない。しかし、その反抗はどう表れているのだろうか?
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