歌詞がいいなと思って、作詞者を見たら、ボーイ・ミーツ・ガールの尾上文という人だった。
このボーイ・ミーツ・ガールの「KIKUIWANI」という歌がとってもユニーク。
これだけファンタジックな長い歌詞をサンバ風の曲に載せてみようという試みがすごい。
聴いているとクセになりそうなアーティストだ。
少女(ニンフェット)の流行を話題に、私は彼らに≪私の理論≫を説明する。
これは現代社会の≪母権≫に対する男の側の最後の反撃である。
アメリカ合衆国では女-妻と女-母が支配している。
それで男達は青さを讃えて、自分たちが愛するものはそれであって、成熟し完成された女性ではないということを立証することにより、恨みを晴らしているのである。
≪ ロリータ ≫と幼い少女の衣服を真似る衣装の流行-は男たちが女性に先行するものに魅せられていることを示している。そして彼らが成熟した女に支配されているなら、彼らは彼女に対する欲望を持てないのである。
この≪流行≫が女のもとに引き起こすかもしれない危機を考えないわけにはいかない。彼女は三十歳で、干からび、≪老いた≫と感ずるようになろう。…そして女たちの若く見せるためにではなく、まだ成熟せず、幼い少女のように思われようとするための努力…アメリカ合衆国を「日本」に置き換えても通じる内容だと思う。
たとえて言うなら、この一日は、神経症のタバコ吸いが長い時間をかけ、長い吸いさし、短い吸いさし、あるいは文字どおり火をつけたばかりの吸いさしでいっぱいにした灰皿に似ているかもしれません。わたしの一日はやりかけの行為、それも半分もすんでいない行為でいっぱいなのです。今思い返してみると、それらの行為は火が消えて冷たくなり、ぷんと臭い吸いさしタバコに似ているのです。煙草というのは、人間の欲望の形が隠しようもなく露になってしまう鏡のような存在なのかもしれませんね。
癌は、ある組織ないし器官の細胞の過剰でアナーキーな増殖によって起こる。…めまぐるしいほどの細胞増加現象が示すのはポジティブな欲動、つまりその組織ないし器官の再生である。…細胞の大量増殖は、組織の全面的再生をもたらし、結局はからだ全体の再生つまり若返りに至るはずだ。エリアーデの他の小説にも、突然、若く見えたり老いて見える女性が登場するが、そういったものがコントロールできる時代が来たら、ちょっと怖いですね。
しかしこの有機体のポジティブな欲動は、細胞増殖の常軌を逸したリズムによって、またミクロとマクロの細胞構築のアナーキーなカオス的な性質によって無効になる。
…もう、生きていくまい、もう明日の朝は目を覚ますまい、と私は思ったのです。だが、眠っている間にも、私の肉体は生き続け、血液は体内を流れ、胃腸は食物を消化しつづけたのです。わき毛は剃っても剃ってもまた生え、爪は伸び、皮膚は汗にぬれ、力がまたよみがえってきました。
そして、朝になれば目がひとりでに開き、またあの大嫌いな現実を眺めたのです…処女作の「無関心な人びと」と雰囲気は似ているが、主人公の生きる姿勢がまったく違う。
①極楽寺→ ②極楽寺切通し → ③力餅家 → ④御霊神社 → ⑤長谷寺 → ⑥由比ヶ浜 → ⑦鎌倉市農協連即売所というルートです。
緑のおもちゃみたいな電車が、とことこ、鎌倉駅を出発し、住宅裏のすぐそばを走りながら十分ほどで着く。
江ノ電の「極楽寺駅」は、とても可愛い。
日曜だというのに、極楽寺の参拝客はほとんどいなかった。
境内の木々からは、蝉しぐれが響いていた。
こちらも、人がまばら。道は、それほど傾斜はきつくない。
御霊神社のちょっと手前、力餅屋に寄る。
力餅(当日しか日持ちしません)と、夏だけ販売しているというみたらしだんご(後で食べたら、ちょっとしょっぱかった)を買う。
店員のおばさんは、すごく気さく。ここは、ちょっと混んでいました。
社(やしろ)の前を江ノ電が走っているちょっと不思議な空気。
9月18日に、面掛行列という変ったお祭りが行われるのだが、祭り前ということで、こちらも人影がまばら。
写真は、御霊神社前の江ノ電の線路の風景。
ここはさすがに混んでいました。
階段を登りきると、鎌倉の街と海が一望できた。
境内の中で、小石に、カードに表示された般若心経の一文字を書くコーナーがあったので、百円を払って字を書いていたら、周りの人に珍しそうな目で見られました。
「厄」という字だったので、物好きな人ですな、という感じですね。
次の人のために、カードをめくったら「舎」(釈迦の弟子 舎利子)だったので、今度は書きやすいだろう。
ご飯を近くの蕎麦屋で食べる。長谷寺の近くのお土産屋で、人の声をリピートする鳥のおもちゃに、「I want an ice cream!」と何度も叫んでいた可愛い女の子の外国人の親子がいました。
ここで、石を拾おうと思ったのですが、全然いいのがなくて諦めました。
夏休み明けで、お盆も過ぎたからだろうか、サーファーと海水浴を楽しむ人もまばらでした。
日が突然差してきて、石を探しながらしばらく歩いていたら、頭が熱くなり、エリアーデの「ジプシー娘の宿」の主人公のように、軽い熱中症のようになってしまい、しばらく「めまい」を感じていました。
帰る途中、鎌倉駅を降りて、鎌倉野菜を売っている鎌倉市農協連即売所に寄ってみました。さすがに、午後も2時をまわり、珍しい野菜はすでに売れ切れており、馬鹿でかいゴーヤとかまるまったキュウリとか、ちょっと変わったトウガラシ程度しか売っていませんでした。
値段は殆どが百円で、生産者の顔も見えるので、料理をする人にとっては便利かもしれませんね。