「環礁 ミクロネシヤ巡島記抄」からの一篇。
「目がさめた。」という冒頭の文章から、ランボーの詩「夜明け」を意識しているように思ったら、真ん中のあたりで「永遠」の一節が引用されていた。
南洋の何にもない真昼過ぎ、快い午睡から目覚めて、青い海と空を眺め、白い珊瑚屑がかすかに崩れる心地よい音を聞いても、中島は幸せを感じることなく、自分が求めているものは、怠惰と安逸ではなく、未知の環境での自己の新たな才能の発掘と来たるべき戦争の戦場に選ばれることを予想しての冒険への期待だったはずだと自分を責める。
(中島敦がパラオ南洋庁国語教科書編集書記として赴任していたのは、昭和16年7月から17年3月頃まで。大日本帝国海軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開戦した時期である。中島敦が戦争に楽観的な印象を抱いていたことが分かる一節で興味深い。)
そして、自分がいかに西洋文明に基づいた意識で南洋の世界を見ているかに気づき、何処にいても変わらない自意識に辟易とする。
中島自身おかしがっているが、島民(土民と呼んでいる)の家屋で寝ていたときに、何故か、歌舞伎座のみやげもの屋の明るい店先とその前を行き交う人波を思い出したというエピソードも面白い。
彼は何故そんな光景を突然思い出したのか「皆目判らぬ」と言っているが、何のことはない、美しいけれど寂しい南洋の世界に居ながら、都会の華美な喧騒を懐かしんでいるのだ。
中島敦の代表作をみると、特に中国古典に基づいた作品を読むと、彼がいかにも老成した作家のように思えてしまうのだが、この作品からは、自意識に悩まされ、都会にも未練があるまだ若い三十二歳の男の精神が垣間見える。
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