そして、その理由を「神がこの島の人間を滅ぼそうと決意したからだろう。非科学的と嗤われても、そうでも考えるより外、仕方が無いようである」と彼が感じたのは、日本から離れ、圧倒的な自然に囲まれた南洋の雰囲気に神の存在を感じたせいだろうか。
寂しい島の滅びを悲しみつつも、その寂しい感覚を神や宇宙の存在に引き上げているところが面白い。
島を離れる船の上から見上げた夜空の南国の星座の描写がとてもダイナミックだ。
今、私は、人類の絶えて了ったあとの・誰も見る者も無い・暗い天体の整然たる運転を――ピタゴラスの云う・巨大な音響を発しつつ廻転する無数の球体共の樣子を想像して見た。
この文章から受けるダイナミックな印象は、「李陵」のそれとは違うような気がする。彼が学んだ中国古典のエネルギーとは別のところから由来しているような気がする。たとえて言うなら、まるで宮沢賢治が書くかもしれないような。
中島敦の多面性が、この「環礁」の短編ごとに感じられるのが興味深い。
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