「カフカの生涯」/池内紀を読んでいて、カフカが死の間際、短編「断食芸人」の校正をしていたことが分かったときは、複雑な思いがした。
カフカの死因は、喉頭結核という病気であったが、この病気は、咳が止まらず、喉が焼けるように痛む症状だったらしい。
そのため、カフカは、食べ物を呑み込むのも苦しく、話すこともままならない状態だったという。
粥にしても喉を通らず、スープも水もダメ。わずかに少しのビールやワインにレモンを絞り込んだものを飲むことができたが、その後、焼けつくような渇きがおとずれる。
水が飲めないカフカは、看護人が花瓶に挿したライラックの花を見ながら、話すのが禁じられていたので、小さな紙に書き留めた。
「おかしいね。このライラック、そうじゃない? 死につつ飲んでいる。まだたらふく飲んでいる。」
最後は、痛みをやわらげるアルコール注射も効かなくなり、モルヒネが投与された。
強いられた絶食状態の中で、彼はどんな思いで自分が書き上げた「断食芸人」を校正したのだろうか。
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