わずかに、「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」のあとがき、「草原の記」、「この国のかたち」、『「昭和」という国家』および「司馬遼太郎全講演」に、「昭和」について断片的に語られている。
『「昭和」という国家』で、司馬遼太郎は、 「昭和」 という時代について、こんなことを語っている。
「昭和というものを書く気もおこりません。書いたらですね、おそらく一年を待たずして私はおかしくなりそうですね。」
「昭和という時代は、書いていて実に精神衛生に悪いところを持っています。」司馬遼太郎が物語として日本の歴史をさかのぼり、現代の方向に戻ることができたのは、「日露戦争」(「坂の上の雲」)の終結までだった。
司馬遼太郎が「日露戦争」以後の日本について書いている内容を簡単にまとめると、こんな感じだ。
・日露戦争後の賠償に対する不満から起きた「日比谷焼打事件」は、日本がロシアにぎりぎりのところで勝ったという実態を理解していない群集が起こした暴動である。
・その日露戦争に対する群集の誤認について、ジャーナリズムは本当の実態を何ら明らかにせず、国家も「日露戦史」を作成したが、総花的な中味のない検証しかできなかった。
・やがて、その誤認(リアリズムのなさ)が群集だけのものでなく、国家全体のものになってゆき、「日本は絶対負けない。日本は絶対正しい。」という客観性のない狂信的なものに変わっていった。
・明治時代を作り、支えた人たちは、江戸時代の各藩から集まった人たちで、生き方・考え方に多様性があった。しかし、大正時代に入ると、その江戸期の遺産はなくなり、ペーパーテストで出世する学歴社会となってゆく。第一次世界大戦の好景気もあり、たくさんの学校が設立され、秀才教育、偏差値教育が重視されるようになっていった。
・そういった教育を受けた秀才たちが、日本軍の中枢にあって、実態のない認識・考え・言葉に基づき、戦争を進めていった。
司馬遼太郎は、『「昭和」という国家』の最後のほうで、国際社会の中で、日本人がこれからどうすればよいかということについて、こんな言葉を残している。
これから世界の人間としてわれわれがつき合ってもらえるようになっていくには、まず真心ですね。
真心は日本人が大好きな言葉ですが、その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。そして自分自身に対して持たなければいけない。
相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかのごとくに感じることが大事ですね。
いろいろな 事情から、国家行動とか民族的な行動が出てくるものなのだと、社会の現象も出てくるものだと、いろいろ事情を自分の身につまされて感じる感覚ですね。
そういった 神経を持ったひとびとが、たくさん日本人のなかに出てくることによってしか、日本は生きていけないのではないか。ほぼ、同じ内容が「二十一世紀に生きる君たちへ」にも書かれている。
考えようによっては、
「昭和」(敗戦)という時代について、
司馬遼太郎が一番言いたかったことは、これからの事だったのかもしれない。
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