2024年10月19日土曜日

詩歌川百景 4 /吉田秋生

お葬式でドラマが起きるという流れは、前作の海街でもそうだったが、詩歌川の物語でも、やはり起こる。

幼い和樹と義弟の守を育ててくれた飯田の叔母が亡くなり、葬式に訪れる人々に接し、和樹は自分と守が、こんなにも多くの人たちに支えられていたということに気づく。

一方で、だらしない実母に引き取られ、性格がすさんでしまった義弟 智樹が和樹の前に現れ、自分の義姉(鈴)と守を傷つけようとする言動に激昂した和樹は智樹を殴ろうとしてしまう。

その自分の行為に深く傷ついた和樹を、妙はやさしく抱きしめる。
この物語で二人がもっとも近づいた場面だと思う。

しかし、この物語で、妙は、何度、”ことば”にしなくてもよいと思うような場面で、明確に”ことば”にして、和樹と守を癒し、肯定し、救ってきたのだろう。

これは、もう一人の精神的メンターである林田(リンダ)が言うようにPieta(慈悲)としか、言いようがないけれど、妙にとっては、和樹が大事な存在であることがよく分かる場面だ。

妙が守に語った11才の時に「河童淵」で見た河童とは、和樹のことなんだと思う。

妙が死のうとして飛び込んだ「淵参り」で、自分を救ってくれた和樹。
それは、妙にとっては恋だったのか、Pietaだったのか。

個人的には前者だと思う。ひょっとしたら妙自身も気づいていない。

2024年10月14日月曜日

異端者の告発/安部公房

 この作品は、ある意味、分かりやすい。

「神は死に、一切が人類の手に与えられた今、」は、明らかにニーチェの影響があるし、「しかし、僕の訴訟はなかなか捗らなかった」は、カフカの「審判」を思い起こさせる。

それに、主人公の僕が行き来する二つの町。一つは僕が現在住む「必然性と可能性を信用貸で両替できる」現代の都市(おそらく日本)。
もう一つは河向こうの下町(おそらく安部が過ごした満州奉天市)が舞台だ。

主人公の僕の罪の意識には、おそらくは中国での侵略者としての日本人の意識があり、それが故に、敗戦国である日本の被害者意識を持つ日本人の町の中では「異端者」になってしまう。

また、下町で、僕が僕に付きまとう名誉市長X(僕自身)を殺そうとしても殺せなかったのは、消せない戦争の事実のようにも思える。

その僕が正式な裁判を受けられずに、瘋癲病院に入れられてしまうのは、戦争責任を自ら裁けなかった日本という国を象徴しているようにも思えるし、

「臆病…猜疑心…へっぴり腰…君たちの矛盾と、不安のかくれもない証拠…」と最後に嘲笑している対象ば、敗戦後の日本人の姿のようにも思える。


牧草/安部公房

一読して、怖い作品だなと思った。

語り手である私は、故郷恋しさに、かつて父が住んでいた「五年以上住む人がいない」といういわくありげな家を再訪する。
そこで、彼は家の現在の住人である医者と思われる「彼」とばったり出会い、知り合いになる。
彼は妻と二人でこの家に四年間住み続けている。
妻は美しいが、無口で「変人」らしい態度。
彼は私を一方的に信頼し、彼の妻に対する愛と性格の問題について話し出すが、しんとした家の中で「なぜかそれ以上聞くのは堪えられないように思われ」、家を去ろうとするが、彼から「いつか役立つこともあろうかと思いますから」、私の住所を書いてくれと頼まれる。

その一年後、彼から一通の手紙が届く。彼は手紙で、妻が精神分裂者であったことを告げ、「ちょっとした手落ち」で妻を死なせてしまったことを告白する。
ルミナール錠を「その日に限って机の上に出しっぱなし」にしてしまい、誤って過剰摂取してしまった妻。しかし、それを吐き出さそうとせず、薬が効き、死にゆく妻を待つ彼。

手紙を読んで「ただ、たまらなく不愉快だった」私は家に再度赴くが、「なぜか特別な気配に思わず立ち止まってしまう」。来た路を引き返そうとする私は、

「すぐ二十メートルも離れていない窪みの中に、目深に帽子を被り、膝に猟銃をかかえ、黒い外套の衿を立てて坐っている男」(彼)に気づき愕然とする…という物語だ。

彼が私を殺そうと待ち伏せしていたのか、あるいは別の人間を待っていたのかは語られていないが不気味な印象が残る作品だ。

なぜ、前半の一見やさしげな妻を愛しているように見えた彼が、後半暴力的な人間に一変したのか、あるいは、そもそもの本性が暴力的な人間だったのか。

後者と考えると、彼はなぜ私を殺したかったのか。

こういうざらっとした意味不明な暴力性を感じた作品は、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」以来。

2024年10月13日日曜日

終りし道の標べに/安部公房

安部公房の処女作であり、彼が終戦時期を過ごした満州での出来事、日本と満州という2つの故郷に対する思いが感じられる作品だ。

場所は、中国東北部の満州。ただすでに日本の敗戦が伝えられており、満州国は崩壊しようとしている。肺結核に冒され、苦痛しのぎのために使いはじめた阿片の常習により、すでに主人公は外出もままならないほど体力を落としている。しかし、その主人公が唯一行う能動的な行為がノートに文章を書くことだ。

実際、本作品は、以下のような構成で、主人公が書いたノートの内容によって物語が展開していく。
1)「第一のノート終りし道の標べに」
2)「第二のノート 書かれざる言葉」
3)「第三のノート 知られざる神」
4)「十三枚の紙に書かれた追録」 

そのノートでは、主人公のこれまでの(日本からの)逃走生活が書かれているのだが、過去から現在に戻ったり、過去からさらに過去に戻ったりと複雑な移動を感じる。

そして、ノートを書いている自分と、主人公が寝ている粘土塀に囲まれた部落の外へとつながる門に立つもう一人の自分が幽体離脱のように分離する場面も印象的である。

日本に戻りたいのか、満州に戻りたいのか、戻れないのか、どちらの故郷にも戻りたくないのか、そういった非常に複雑な感情の葛藤が主人公の中に生じる様子が感じられる。

軍国主義の日本にも居場所がなく、中国の匪賊にもなり切れない。

本書は戦後三年後に出版されているが、当時の安部公房の思いがある意味ストレートに表現された作品ともいえるものなのかもしれない。

最後のほうで、主人公が測量技師であるという一文がさりげなく書かれているが、これはカフカの「城」の影響だろうか。

「城」では、主人公Kが近づこうとしても、いっこうに辿り着かず、遠ざかっていく「城」が描かれており、本書における「故郷」との相似を感じた。


2024年10月6日日曜日

アウシュヴィッツの小さな厩番/デクスター・フォード, 大沢章子 (翻訳)

原題は"The STABLE Boy of Auschwitz"。 ”STABLE Boy”が厩舎の少年という意味だとは知らなかった。

この一見おだやかな言葉にアウシュヴィッツの文字がついていなければ、スルーしてしまいそうなくらい平和的なイメージが浮かぶ。

しかし、この本で書かれているのは、ヘンリー・オースター氏の経験、ビルケナウ、アウシュヴィッツ、ブーヘンヴァルトという三つの強制収容所を十代前半の少年が生き延びてきた過酷な記録である。

私は、なぜ、ヘンリー・オースター氏は、これだけ過酷な環境を生き延びることができたのかということが、まず知りたかった。

十代前半にしては、身長が高く健康そうに見えたこと、ドイツ語が話せたこと、スープの配給の際もどの辺りに並べば野菜を自分のボウルに配ってもらえるか考えること、突然のナチ党の襲撃が来た際に身を隠すことができる隠れ場を見つけていた危機管理能力、他人を迂闊に信用せず、重要なことをしゃべらないこと、いかに衛兵や班長に目を付けられずに幽霊のように振る舞うことなど…

こう書くと、彼が抜け目のない冷徹な人間のように見えるし、実際、この本は彼の証言に基づいて書かれているので、彼自身がドイツ兵を含めた他人からどう見えていたかは書かれていないが、間違いなく彼には他人から信頼され、愛されるべき性格の持ち主だったことが伺える。

ブーヘンヴァルトに移送され、気持ちが切れそうになった時、ドイツ人作家の囚人ゲオルクから「諦めるなよ」「何としても持ちこたえるんだ」と声を掛けられ、そしてその言葉を信じ、頑張ることができたことからもうかがえる。

それは、不当に死に追いやられた彼の父親と母親が彼を愛し、人としての基礎をしっかりと作っていたからだろう。

2011年にドイツのケルン市が主催した強制移送七十周年行事のスピーチで、彼はこう述べている。

…憎しみは憎しみを生むだけです。寛容こそが、すべての人種の人々が目指すべき未来の目標です。過去の加害者たちは寛容を目指すべきでした。そしてその犠牲者たちもまた寛容を目指すべきなのです。

私は、この本を読んで、改めて、現下のイスラエルのことを思わざるを得なかった。

このヘンリー・オースター氏が経験したような地獄を、かつては犠牲者であったユダヤの人がガザやレバノンの子供たちを含む一般市民に対して繰り返すことに、一体どんな歴史的な学びを見出すことができるのかと。

2024年8月31日土曜日

夕べの雲/庄野潤三

庄野潤三という作家の名前は、村上春樹の唯一の批評集?「若い読者のための短編小説案内」で取り上げていた「第三の新人」の一人というくらいの認識しかなかった。

ずいぶん前に読んだ本で、丸谷才一の「樹影譚」の強烈な印象しかないが、確か、庄野潤三については「静物」を取り上げていたと思う。

神奈川近代文学館で、作家の人柄など見ると、ものすごく周りの人々に愛されていたことが分かる人で、これは自分の好きな作家ではないなという印象を抱いてしまった。

正直、須賀敦子が、本書を取り上げて、

「日本の、ほんとうの一断面がある。それは写真にも、映画にも表せない、日本のかおりのようなものであった」

と称したことばを見るまでは、この作家の本を読もうという気にまではならなかった。

そして、読んでみた。 遅読の私としては、めずらしく数時間で読み終えてしまった。

これは、確かによい本だというのが感想だ。 その良さは、なんというのだろう、今の日本ではもう見られないような、「ちゃんとした家族」の生活を、しっかりと描き切っている点にあると思う。

たぶん私の世代より前の人(1960年代)の人が読んだら、すごく懐かしく感じるのではないかと思う。(私にも少しそういうノスタルジーが感じられた)

思わず、くすっとするような家族の習慣が描かれていて、あぁ、そうそう!とあいづちを打ちたくなってしまうようなエピソードが続く。

今まで読んだ作品の中で、似たような印象を感じたのは、向田邦子の「父の詫び状」と須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」などの作品群だろうか。

作者の実際の生活・思い出を描いたエッセイのようでもあるが、小説のようにも感じるという点も似ている。

須賀敦子が、この作品を気に入った理由がよくわかる。

でも、ここに書かれていた日本の家族の姿形は、今はもうすっかり変わってしまったような気がする。

それは、この小説の舞台である川崎市の生田の風景が、集合住宅建設のために木々が伐採されていく姿と同じような変化を受けたのだと思う。

そう考えると、この小説は、小津安二郎の映画で描かれた崩壊していく日本の家族の姿と少し重なる部分がある。

少し切ないようにも思うが、読んでいて幸せな気分にしてくれる作品であることは間違いない。

急いで読んでしまって、少し損をしたような気分にさせる作品は、何年振りだろう。 寝しなに、毎日少しずつ読めばよかった。



2024年6月2日日曜日

ノイエ・ハイマート/池澤夏樹

久々に、池澤夏樹らしい本を読んだ気がする、と書くのは失礼なことだろうか。
しかし、私にとっては、日本を外側から見る意識を持ち、常に弱者の視点から語る作家だという印象が強い。

しかも、この本はシリア、アフガニスタン、カンボジア、セルビアといった国を追われた人々(それを難民というのか)を取り上げていて、自然と、ウクライナ、ガザの人々と重なるイメージをもってしまう。

ただ、それは、池澤夏樹の個人的なパイプを通じて得られた情報に基づいているという印象を受ける。日本のマスコミがほとんど伝えない現地の人々の「生き延びる」ための姿だ。

そして、かつて日本人も「難民」を経験したことがあるという事実を一つの短編で提示する。第二次世界大戦末期、満州に取り残され、ソ連の兵士たちの暴力に怯えながら、日本国にも見捨てられた人々は確かに「難民」というほかない。
日本にいると、難民という言葉をひどく遠い国の人々のように感じてしまうが、ひとたび戦争が起きれば、難民になることは他人ごとではなくなる。

この本は、19の章から構成されているが、主軸となる小説は、主人公の至(イタル)という日本人のビデオジャーナリストと恋人の妙子、至のジャーナリスト仲間のシリア人のラヤンである。
ラヤンは、同じシリア難民の国外脱出から難民申請まで当事者たちと行動するのだが、その道中は、運という要素に大きく左右される。
一番の危険は、業者が操るソディアックボートでトルコやギリシアに渡る時だろう。実際、船が強い風などで転覆し、命を落とした子供や女性の話がこの本でも取り上げられている。
そうした決死の旅をして、難民申請することまでたどり着ける人々はどのくらいいるのだろうか。

イギリスでは、難民(不法移民と呼んでいるが)をルワンダに強制移送するような政策も取っているが、それでもヨーロッパのほうがまだ難民の受け入れをちゃんとやっている印象を受けた(特にドイツ)。

タイトルの「ノイエ・ハイマート」は、ドイツ語で「新しい故郷」。
ベルリンの空きビルに「スクワッター」として住み着いたシリア人たちの居住区に掲げられていた横断幕に書かれていた文字だ。
(スクワッター…空き家などを無断で占拠する人々を「スクワッター」と呼ぶ。)

ベルリンのボランティアの人々が、そのビルを難民定住のセンターとして使おうと行政と交渉する。主人公の至は、その手伝いをした知人のロッテに対して、「新しい故郷」という言葉自体が矛盾しているのではないかという感想を述べるのだが、ロッテは、それを認めつつも、

「でもね、それを承知で新しい故郷を作らなければならない場合もある。そういう事態が迫ってくることがある。そういう人たちに手を貸すという義務も生じる」

と返すのだが、このロッテのような、したたかな精神を私は持てるだろうかと思わずにいられなかった。

ウクライナ、ガザ…世界各地で起こる紛争の度に国を追われる人々。今後も増え続けるであろう「難民」の存在に思いを寄せる。自分に何ができるかを考える。
そういう思いを持つことを第一歩として。

2024年4月21日日曜日

埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち/高柳聡子

ロシア文学では、1890年代から1920年代にかけて、アレクサンドル・ブロークに代表される象徴派、マヤコフスキーに代表される未来派、アクメイズムなど若い詩人たちによる文学グループが組織され、才能あふれる詩人たちの興隆期があったという。

その時代は、プーシキンやレールモントフといった大詩人たちが築いた興隆期「金の時代」に対し、「銀の時代」と呼ばれるようになった。

本書は、作者が数年前ペテルブルクの古書店で偶然見つけた詩集「銀の時代の101人の女性詩人たち」をもとに、十五人の女性詩人たちの詩と彼女たちの人生を取り上げたものだ。

戦争と革命が起きた将来が見通せない不確実な時代。

その激動の時代は、彼女たちの人生に大きな影響を与えたが、辛くても詩作を止めることはなかった。まるで生き抜くためには、詩を作らなければならなかったのだというような、とても個人的で切実な思いが彼女たちの言葉から伝わってくる。

それは同じく戦争と不確実性が増す時代を生きる私たちだからこそ、余計に響いてくるのかもしれない。

翻訳とは素晴らしいものだとつくづく思う。彼女たちの言葉は百年前のものであることを感じさせずにまるで今発せられたかのように感じることができるから。

2024年3月10日日曜日

若菜 上/源氏物語 中 角田光代 訳/日本文学全集 5

「若菜 上」は、前の帝であった朱雀院(光君の異母兄)と藤壺の宮(光君の父 桐壺院の後妻、光君と関係があり、冷泉帝が生まれる)の異母妹である藤壺女御との間に生まれた姫 女三宮が、光君に降嫁するという話が描かれている。

女三宮は、まだ十三歳という若さ。一方、光君は四十歳という年の差である。
朱雀院が自身の体調と出家を考えて、有力な権力者の下で養育させたいと考えていたとしても、バランスの悪さを感じる。

女三宮を狙っていたのは、太政大臣の息子 柏木もいたし、光君の息子の夕霧もいたのだから、朱雀院の依頼とはいえ、断る余地はあった。光君が降嫁を受け入れたのは、藤壺の宮の姪という関心というか、女好きの欲が働いたとしか思えない。

女三宮を受け入れたことで、紫の上の心境にも変化が起きる。今まで光君は数多くの女性と関係を持ち、六条院にも複数の姫が住んでいる実態はあるが、皇女という身分の高い姫を受け入れるのは初めて。

光君の正妻的な立場であった紫の上の立場を脅かす存在。紫の上は、自分が世間からみじめに見られてしまうような存在になることを恐れるが、気丈にも今まで通り大らかな女主人の態度を装う。

紫の上の立場とは裏腹に、明石の御方は、光君との男女の関係もあったが、入内し、皇子を宿した明石の姫君の母親という安定的な立場を得て、自分の宿縁はまったく大したものだと感じいる場面と対照的だ。

紫式部は、そういった女性の幸運・不運を、宮廷の中で目撃していたに違いなく、この時代の女性の運命の不安定さがよく描かれている。

しかし、紫の上とほとんど相思相愛でありながら、この「若菜 上」では、女三宮だけでなく、 尚侍の君(朧月夜)と再度逢瀬を交わし、それを悪気なさそうに紫の上に話すあたりは、全盛期の光君そのものだが、光君の愛情だけが頼りの紫の上の不安が限界を迎えつつある。

若く美しく大胆な決断力と行動力にめぐまれた光君。
しかし、時間という流れの中で、人は同じところにとどまることは許されず、変わらなければならない。

過ぎたる欲望が、周りの人々を苦しめ、やがてそれが自分に返ってくる。
光君に因果応報の足音がせまりつつある。
 

2024年3月3日日曜日

ETV特集 膨張と忘却~理の人が見た原子力政策~

番組では、1990年代から20年にわたり、日本の原子力政策にかかわってきた吉岡 斉(ひとし)氏の主張であった「熟議」や「利害を超えて議論を尽くすこと」が、国や政治家、電力会社の利益関係者によって、蔑ろにされ続け、原子力政策推進という結果ありきの決定を行い続け、3.11の福島第一原発事故を止められる可能性をも潰していた事実が、「吉岡文書」といわれる日本の原子力政策の内幕を記した未公開資料等によって明らかにされていく。

「吉岡文書」は、九州大学の文書館に保管されているが、吉岡氏が携わった原子力委員会の内部資料や、議論の経過を示したメモ、政策決定にたすざわった関係者の名刺やメールのデータ、手帳など、数万点に及ぶという。

アメリカではこういった議論のプロセスを記録した文書が国によってしっかり保管されているが、日本では都合が悪い事実が書いてある資料は、国や政治家によって何らかの理由をつけて廃棄してしまっているので、貴重な資料といっていいだろう。

「吉岡文書」の中で、特に詳細な資料が残っていたのは、1997年に開かれた国の「高速増殖炉懇談会」で、焦点となっていたのは、およそ6000億円をかけて建設された高速増殖炉「もんじゅ」の研究開発を続けるか否かという点だった。

吉岡氏は「もんじゅ」の経済合理性を問題視し、開発が30年たっても実用化のめどが立たず、いつ実現するのか、どれだけの費用が必要なのか、明確にすべきであると主張した。

しかし、「もんじゅ」は現段階で中止すべきでないという意見が大半であったという。
また、事務局(科学技術庁)からは、批判を受けている動燃を新たな法人へ変える法案の国会への提出準備を進めるため、その国会審議が始まる前に、懇談会として「新法人ありき」の報告書をまとめようという強引なスケジュールを提案する。

吉岡氏は複数の選択肢を出して比較し、総合的に評価すべきであると主張したが、その意見は無視され、「もんじゅ」の実現の具体的時期も示されないまま、「もんじゅ」の研究開発費は必要という結論の報告書がまとめられた。

結局、国費は1兆円以上使われ続け、2016年に「もんじゅ」の廃炉が決定された。

吉岡氏の理念に共感した経産省の若手官僚もいた。

「19兆円の請求書」という内部告発文書を作成し、トラブルが続く青森県六ケ所村の再処理施設でウランを使った試験を進めようとすることについて、欧米諸国が核燃料サイクルから相次いで撤退している現状を踏まえ、その実現性について国民的議論が必要とし、実現のためには廃棄物処分など国民負担は総額19兆円まで膨らむと警告していた。

そういった中で原子力委員会「長期計画策定会議」が開かれ、吉岡氏も委員となる。

この会議では、再処理施設を継続する場合、廃止し、直接処分する場合におけるコスト比較など、複数の選択肢が示され、吉岡氏が望んでいた総合評価を行うかのように当初は見えていた。しかし、事務局から、直接処分する場合のコストには追加で、政策変更に伴うコストとして、地元の青森県に対する補償など、新たな費用が掛かり、再処理施設を継続する場合のコストを上回るかもしれないという考えが示される。これを契機に、委員からは再処理施設を継続したほうが良いとの意見が多く出される。

これに対して、吉岡氏は、政策変更コストは、再処理を有利に見せるための恣意的な評価を重ねていると批判し、議論の継続を求めた。
しかし、長計会議はその2か月後に「原子力政策大綱」をまとめてしまう。

この決定にあたり、NHKが得た内部文書によると、実は国と電力会社の間で事前に内部調整が繰り返されていたことが分かったという。しかも、長計会議実施の1年前から続いていた。

その内部調整の結果、長計会議実施の2か月前には、「長計会議で選択肢の検討はするものの、その結果は「再処理工場の稼働については容認する」というシナリオはすでに決められていた。また、「勉強会」と称された秘密会合も開かれ、再処理推進に向けての議論が進められていたが主催者はなんと長計会議の近藤座長だったという。

この近藤座長のインタビュー映像も番組では流されていたが、事前の調整会議をやるのは何をするにしても必要と述べたうえで、

僕は、プロセスはあんまり気にしないけども、結果としてそれが議論の俎上に乗ることが大事」と、プロセス軽視、議論軽視の本音がにじんだ発言をしている。

当時の長計会議の委員が、この内部資料を見て「茶番劇に付き合わされていた」と怒りをあらわにしていた。

内部告発文書を作成した経産省の若手官僚も異動を通知され、有力政治家からこう言われたという。

君らが言っていることは全部正しいが、これは神話なんだ
嘘は承知で出来る出来ると言っていればいい
薄く広く電力料金にのっければ、19兆円なんかすぐに生み出せる
結局、国民よりも自分たちの飯の種と立場を優先させているんですよ
「金」と「嘘」と「おまんま」がグチャグチャになって固まっているんです

日本の重要な政策決定会議における意思決定プロセスが、近藤座長のいう通常ルーティーンだとすると、目の前が暗くなるような思いだ。

結局、継続が決定した青森県六ケ所村の再処理工場は、完成がこれまでに26回延期され、国民が電気料金を通じて支払った関連費用は7兆円を超えたという。

2006年 日本は原子力立国計画を発表。原子力産業を国家戦力と位置づけ、国が国際展開を支援することを述べていた。

しかし、2007年に新潟県中越沖地震が発生し、東京電力の柏崎刈羽原発の4つの原子炉が緊急停止。6号機の使用済み核燃料プールの水があふれ、7号機から放射性物質が漏れた事故が発生した。

吉岡氏も委員として現場に入り、以下の意見を述べた。
「大規模原子力災害が現実的な脅威になっている以上、具体的指針を作るべきだ」

もし、この段階で全国の原子力発電所を停止したうえで、「これは起きないだろう」「ここまではやらなくていいだろう」いう過信を捨てて、事故対策を進めることができていれば。

2011.3.11の原発事故後以降、吉岡氏は、それまで距離をとっていた市民運動にかかわっていくようになったという。
番組では、腫瘍に侵され病室にいながらも、被災者に思いを向け、被災者や被災した事実が忘れられていく、忘れ去られていくことを懸念していた吉岡氏は「理の人」ではなく、全くの「情の人」であると病院関係者の方のコメントが流れていたが、2018年に亡くなられたのは本当に残念な話だ。

今年は日本で原子力の利用が始まって70年という節目だという。
日本政府は昨年、原子力政策を大転換し、原発再稼働の加速、新増設に踏み込んだ新たな方針を閣議決定した。

これに呼応するように国民の原発廃止を求める声は、昨年発表された調査で、初めて半数を割ったと(これは知りませんでした)。今、12基の原発が再稼働しているという。

吉岡氏の「利害を超えて、議論を尽くす」という言葉は、原子力政策にとどまらず、ちゃんと議論をする必要があるときに、議論のプロセスをすっ飛ばし、明らかな問題を放置しているという今の日本の政治社会の問題の本質をほとんど言い当てているように思える。

ETV特集 膨張と忘却 ~理の人が見た原子力政策~ - NHKプラス

2024年3月2日土曜日

梅枝・藤裏葉/源氏物語 中 角田光代 訳/日本文学全集 5

梅枝は、須磨に都落ちした光君が、その時に結ばれた明石の君(この時には明石の御方)との間にできた娘 明石の姫君を東宮妃として入内させるため、裳着の儀の準備をする六条院の様子が描かれている。

明石の姫君に持たせる香壺に入れる薫物(たきもの…調合した香)を、六条院の女君である朝顔、紫の上、花散里、明石の御方と、父親である光君がそれぞれ調合して作り、その香りのよさの優劣を競い合っている。

明石の御方は、離れて暮らす娘への思いが届くよう、「百歩の方」という百歩先でも香りが届くという香りを選ぶ。

しかし、そういう母親の思いを分かっていながら、光君は、裳着の儀に明石の御方は参加させない(紫の上が法的な立場での母)。

明石の姫君入内の順番を左大臣の立場も考え譲る老成した光君の姿も見られる。

ひらがなの書いた文字の美しさを批評するにあたり、自分の関係した女性を挙げ、次々と批評していく光君の鋼のような精神の強さも健在である(恋の思いを伝える和歌に不可欠なひらがなの字も相手を選ぶ基準の一つだったんですね)。

藤裏葉は、その明石の姫君が東宮に入内する。その際、紫の上が、明石の御方が娘の付き添いになるよう提案し、母子が共に暮らせるようにしたことは、彼女の人柄の良さがわかるエピソードだ。

光君は翌年四十歳になる。冷泉帝(実は光君の息子)は、光君をおもんばかり、彼に上皇に準じる地位を授与する。

そして、この話では、光君と異なり、いまひとつぱっとしない息子の夕霧がようやく自分が思いを寄せていた内大臣の娘と結婚する。夕霧の身分も中将から中納言へ格が上がる。

六条院に行幸した冷泉帝。彼とそっくりな光君が琴を演奏する。そして同じ場で笛の役を務める中納言の夕霧も、これまたそっくり。

光君の血縁で固められた高貴な血筋。

物語はこの後、光源氏の栄耀栄華の頂点となる「若菜」を迎える。

2024年2月24日土曜日

行幸・藤袴・真木柱/源氏物語 中 角田光代 訳/日本文学全集 5

この三篇も、玉鬘をめぐっての物語だ。

玉鬘は、光君が一時逢瀬を交わした夕顔と、内大臣となった頭中将との間の娘である。
光君としては、かつて愛した女性の忘れ形見として彼女を引き取り、自分の手元に置き、娘同様に育てるつもりだったのかもしれないが、彼女を取り巻く若い貴公子からの求愛にどう対処すればよいかを彼女に教えているうちに、カサノバ的な血が騒いだのか、彼自身が玉鬘に恋してしまう。

しかし、意外なことに、玉鬘は自分を恋い慕う光君を忌み嫌う。それは、「行幸」で玉鬘が、光君そっくりの、いや彼より若く美しい冷泉帝をみて、気乗りしていなかった宮仕え(尚侍)をする生活もよいのではないかと心動くさまとは対照的である。

この時点での光君は、三十六歳から三十七歳。
彼の人間離れした美しさにも陰りが出てきたということだろう。

光君にも、かつての「動物的」といっては言い過ぎだが、衝動に走って無理やり女性と関係を結ぶという行動を抑制するという変化がみられる。彼は彼女が内大臣の実の娘であること、自分が関係を結んだ際の内大臣の行動や周りの人々に与える影響を考え、玉鬘との関係をエスカレーションしない。

つまり、光君もいい意味でも悪い意味でも「大人」になったということであり、常識的な態度をとるようになる。

しかし、この「大人」的態度は恋愛の世界においては「老い」という意味と同義なのだろう。

「真木柱」においては、髭黒大将という文字通り髭づらの男に、玉鬘を寝取られてしまう。(物語には、書かれていないが、「藤袴」と「真木柱」の間で、彼女が女中の手引きで、髭黒大将に強引に契りを交わされてしまったという)

光君は残念に思いながらも、玉鬘は髭黒大将と婚姻の関係になるのだが、この髭黒大将という男、北の方という正妻がいて、彼女が嫉妬と悔しさのあまり、髭黒大将に香炉の灰を浴びせる「修羅場」はなんとも現実的(リアル)な場面だ。

光君の老いと男女の修羅場を描く源氏物語は確かに小説なのだと思う。


2024年2月18日日曜日

戦争語彙集/オスタップ・スリヴィンスキー 作 , ロバート キャンベル 訳著

ウクライナの人々が戦争を体験し、語った言葉を集めた本。

読んでいて、ウクライナの人々の強さとともに、戦争によって一変してしまった彼らの生活や”言葉”が感じられる。

ロシアによるウクライナ侵攻については、様々なメディアをみるが、現地の人々のこうしたリアルな思いを感じることができる情報は少ないと思う。

戦争という恐怖に囲まれながら、彼らは、自分や悲惨な目にあった人々の状況を、自意識的に、客観的に、時にユーモアを交えて、言葉であらわす。

それだけで、これだけまだ暖かい世界が彼らのこころの中に息づいていることを感じることに安堵感を覚える。

それは、文中、ボフダナさんが語った「人間らしさ」「内面の優しさ」なのだろう。

    ...すべてが崩れ去り、言葉が破壊された時、言葉にも表現できないような時にこそ、人は内面を大切に保つべきです...

それでも、戦争はまだ続いている。ウクライナだけでなく。

このような語彙が、パレスチナ ガザの人々のこころの中にまだ絶えていないことを心から願う。あまりにも国際社会は非情で非力で現実は悲惨だと思う。

ボフダナさんが日本の人々へのメッセージとして語った、戦争とは、私たちが想像する以上に身近なものであり、世界の遠い地域ではなく、近い地域で起こりうるものであり、人間の残虐さと優しさには、限界もなく国境もないという言葉が深い。


2024年2月17日土曜日

篝火・野分/源氏物語 中 角田光代 訳/日本文学全集 5

久々に、源氏物語の続きを読みだした。
前の投稿を改めて読んで、中年男になった光君の玉鬘に対する邪心が嫌になって読むのを止めたのかなと、多少物語のせいにしたくもなった。

実際、続きの「篝火」においても、玉鬘の部屋に入りびたり、和歌を教えたり、添い寝したり、自分の恋心を篝火にたとえた歌まで読んで、玉鬘を困惑させる。

「野分」は、野分(台風)が接近した六条院の様子が描かれている。そこで、中将 夕霧(光君の息子の一人)が、妻戸の開いている隙間から紫の上の美しい姿を見てしまい、あってはならないと思いながらも、彼女に憧れの思いを抱いてしまう。

そして、夕霧は野分で離れの建物が倒れてしまった六条院を再度訪れ、そこで光君が玉鬘に話しかけている様子を御簾を引き上げて見てしまう。

そして、父娘の関係とは思えないほど親しげな様子を見て、おぞましいと感じてしまう。

父親の光君とは対称的に常識的で真面目な夕霧を、どこか堅苦しい感じの男のように描いているところは、この物語の主人公である光君には、到底かなわないということを印象付けるためだろうか。



2024年2月2日金曜日

陥穽 陸奥宗光の青春/辻原登

日本経済新聞 朝刊で昨年3月から掲載されていた物語が、今年1月末をもって終了した。

私は、今まで陸奥宗光というと、坂本龍馬の子分的存在で、明治維新後は、外務大臣として、外国との不平等条約撤廃に取り組み、カミソリ大臣と呼ばれていたぐらいの知識しかなかった。

この物語では、陸奥が西南戦争の勃発を奇貨として、大久保利通が作り上げた有司専制(薩長という藩閥が独占する政治体制)の転覆を計画したものの、失敗し、山形監獄に移送されるところから始まり、宮城監獄から特赦で釈放されるまでの現在(いま)と、陸奥宗光が小二郎と呼ばれていた少年期に遡り、高野山の学僧から江戸に出て、伊藤博文や桂小五郎、そして坂本龍馬と出会い、明治維新へと進む過去の物語が、交互に入れ替わり徐々に近づいていく。

坂本龍馬に「両刀を差さなくても食べていけるのは、俺と陸奥だけだ」と言わしめた陸奥が、なぜ政府転覆などという無謀な挙行に及んだのか、「陥穽」になぜはまってしまったのかという点が、この小説の主題だろう。

一つには才走っていた陸奥からみると、明治政府の要職を占めていた藩閥出身の政治家たちの無能さが許せなかったという強烈な自信と不満があったからだと思う。

しかし、彼の政府転覆計画は、きわめて杜撰で、大江卓らと進めていた計画のあらかたが川路や大久保に漏れていたというお粗末な「行動」しかできなかった。

この点、西南戦争における西郷の力を過信し、外交官に必要な精緻な「戦略」も練らず、「情報収集能力」もろくに発揮していなかったことが分かる。

要するに全く無謀な行動に突っ走ってしまったのだが、しかし、ここまで彼を追い込んだ閉塞感や無力感は、相当なものだったのだろう。

陸奥が五年弱という長い監獄生活の中で、自分を振り返る時間を持てたこと、ベンサムの著書の翻訳など、知的活動を怠らなかったことが、出獄後の彼の活躍に大いに活きたのだと思う。

陸奥が肺病を抱えながらも、念願のヨーロッパ留学を通して、外国で鬼のように勉強に励んだエネルギーも、この長い監獄生活の遅れを取り戻し、自分の能力を最大限に高めることに必死だった思いが伝わってくる。

この物語では、その後の活躍は描かれていないが、陸奥が外務大臣の職に就いたのは、明治二十五年の第二次伊藤内閣。肺結核で亡くなるのはその五年後である。その五年間に、日本が不平等条約を結んでいた、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスなど15ヶ国すべてとの間で条約改正(領事裁判権の撤廃)を成し遂げた。

そういう意味で、陸奥宗光は徹底した仕事人間だったと思う。彼には美しい妻もいたが、色恋は二の次だった。そういう点は、彼が憎んで暗殺しようと思っていた大久保利通と共通していた。

私がこの物語に惹かれたのは、挫折を重ねながらも、自分を見捨てることなく、知的好奇心を頼りに少しずつでも前に進み、立ち直ろうとする青年の姿を見届けたかったせいかもしれない。