筒井康隆は、「虚構理論」を「読者の側から小説に対して感情移入した感情移入論による文学史」と説明している。
田山花袋の「蒲団」に代表される日本の自然主義文学に否定的なところは、ほぼ、丸谷才一と同じ主張のように思ったが、フランスでは、遺伝や社会環境といった因果律の中で人間の本質を見出そうとするものだったという真面目な説が紹介されていて、なるほどと思った。
「私小説の主人公のキャラクターはドラマに優先しているという点で、現代のライトノベルというジャンルに特徴的な、キャラクター小説の要素にまで繋がっている」という指摘は鋭い。
2.映画的リアリズム
今日、「映画の影響を受けていない小説を探すのは難しい」と言い切っており、筒井康隆自身のドタバタスラップスティックも、その影響を受けていると分析している。
小説の文章を読みながら、映画のシーンのようなイメージを頭に描いたりすることは確かに多いので、映画というツールは小説の補完的な役割も果たしているのかもしれない。
3.漫画的リアリズム
漫画について「実在の人物なり動物をデフォルメした記号だとされてきたが、デフォルメした記号である人物にさえ、たとえば性欲を覚えたりする。それは記号でありながら身体性を持っているということです」という説明が興味深い。
漫画にこの身体性に加え、文学性を持ってきた最初の人が手塚治虫だったという指摘もうなずける。
4.アニメ的リアリズム
アニメで生まれた「おたく」や「萌え」が、次第にライトノベルのほうに流れていっていると説明している。
「ライトノベルとは、物語というよりはキャラクターの媒体です。キャラクターを立てることによって商品化されたり、二次使用のマーケットが広がっていくわけです」という分析が鋭い。
この講演の最後、筒井康隆は、皆にライトノベルを書くようにせがまれて困っているというような態度で締めくくっているが、本当のところは、どうだったのだろう。
実際、筒井康隆はこの1年後にライトノベル「ビアンカ・オーバースタディ」を書いているが、実は、彼が1970年代に書き終えていた「七瀬三部作」(特に七瀬ふたたび)も、”キャラクター”が立っているという点から言えば、ライトノベルの先駆的な作品だったのかもしれない。
冒頭の「感情移入」という言葉に引っかかっていたのですが、この「虚構理論」、なにげに説明されているが、どうも、ハイデガーの哲学理論と関係しているみたいですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿