今では見る影もない同新聞の読書欄に、そんな時代があったのだと読後に諸行無常の気分になった。
文芸批評とは、露骨にその人の知性と感性、世界観が滲み出てしまうため、文藝というジャンルの中ではある意味恐ろしいセクションである。
特に新聞に掲載されるものは、書く分量は制限されるし、読み出しで退屈そうだなと感じるものは、さっとめくられ、読み飛ばされる。
本書は、ハイレベルに面白い批評集である。
取り上げている本も、古典から短歌、伝記、SF、推理小説、奇書、漫画、純文学、パロディ、専門書とバラエティに富んでいる。
そして、批評の主眼がこれらの本の創作手法に置かれていることにも特徴がある。
メタ・フィクション、感情移入、不条理文学の構造、錯時法、文体、記号、パロディ、フェミニズム、マジック・リアリズム等々...
職業小説家としての意識がそうさせるのだろうが、これほど、手法にこだわった文芸批評というものを、あまり読んだことがない。
何より文芸批評を遊戯的に行い、人を楽しませようとしている。
そんな意識を批評から感じた人は、故 丸谷才一氏しか知らない。
筒井康隆の小説の登場人物である火田七瀬、唯野教授、穂高小四郎、神戸大助が語る批評があったり、筒井康隆が現実にはない作者の作品を批評とするという掟破りの批評もあったりする。
ぶさけていると思いきや、以下のようなシリアスな作者の胸の内が明かされていて、読んでいて飽きない。
なぜ日本の文芸出版市場のシェア90%を推理小説が占めているのか...そこには謎の提示と解決という最低限の面白さだけは保証されているのだ。推理小説だからと馬鹿にするだけではなく、われわれ作家はこの形式をもういちど謙虚に見なおし、自分のテーマをこの形式でいかに表現でき、一般読者に伝えることができるかを考えてみるべきだ。以下、ぜひ読みたくなってしまった本。
アンドレ・ジッド「贋金つかい」
丸山健二「千日の瑠璃」
河合隼雄「心理療法序説」
シュニッツラー「カサノヴァの帰還」
中上健次「軽蔑」
清水義範「世界文学全集」
ジョルジュ・ペレック「人生 使用法」
藤原智美「運転士」
笠井清「哲学者の密室」
トーマス・マン「魔の山」
ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」
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