日本や外国の映画や小説のセリフを取り上げ、日本語の感覚と英語の感覚を、エッセイ風に語る内容が主です。
正直、前作の冠詞・定冠詞のようなインパクトはないが、読んでいると、それなりに役立つ内容は書いてあると思います。
個人的には、著者が日本の学生と、J.D.サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」( A Perfect Day for Bananafish )の読み合わせをした際の話が興味深かった。
シーモアの妻ミュリエルが、母親と電話で話をしているときに、シーモアが自分のことをこう呼んでいると説明した部分
He calls me Miss Spiritual Tramp of 1948," the girl said, and giggled.
"Tramp"の持つ意味は、身持ちの悪い女(あばずれ・無節操)・売春婦
野崎孝 訳では、以下のとおり
「1948年度のミス精神的ルンペンですって」 娘はそう言うとくすくす笑い出した。
(ルンペンということばも、どれだけ分かる人がいるだろう。もはや死語ですね。浮浪者とか、乞食の意味です)
この台詞は、キリスト教徒である著者からみると、人間として侮辱されたに等しいほど、相当にきつい言葉であり、読者からすると、夫がここまで妻を痛烈に批判する言葉は、読んでいて、ドキッとしなければならない部分であるというのが著者の印象であったが、日本の学生たちは普通にスルーしてしまったらしい。
著者曰く、このシーモアが妻に対して持った軽蔑は、信仰の厚いキリスト教徒であれば、共感できるものらしい。
しかし、私自身、(原文と野崎孝 訳のギャップもあるとは思うが) この台詞に強い印象を覚えた記憶がない。
仮に、Trampの訳語を、“ルンペン”から“あばずれ”、”無節操”に変えても、シーモア特有の皮肉めいたことばという程度の印象しか、やはり持てないような気がする。
わたし自身、言われたら、ちょっとムッとするかもしればいが、ミュリエル同様、なかなか面白い表現だと笑ってしまうかもしれない。
宗教性によって言葉が与えるインパクトも変わるんだ。そう実感しました。
それ以外で印象に残ったのは、細々とした実用的な知識です。以下、箇条書き。
・The Japanese/個人差を認めなくてよいとする態度
The Japanese have to learn the importance of a level playing field in international trade.
ここでのThe Japaneseは、一人も例外なく、全ての日本人を指す意味らしく、アメリカ人が日本人を評して言う際に、このようなことを言うらしい。
一方、アメリカ人自身については、以下のように、そう思わない人もいるという多様性の余地を残した表現をしている。
Americans believe in giving everyone an equal opportunity to succeed.
・英語にもある漢語と大和言葉
ラテン系は、漢語っぽい。造語的。
アングロサクソン系は、大和言葉っぽくて人間くさい。
例えば、
ラテン系 アングロサクソン系
submit/~を提出する turned in/~を出しました
reconsider/~を再考する take it over/~を考え直す
enter/入りたまえ Come on in/さあ、どうぞ、どうぞ
・hear(耳に入る受け身の聞く)とlisten(自ら収集する聴く)
・see(経験的な見る)とlook(一応目を通す視る・看る)とwatch(何をして過ごしていたかという観る)
・found(ただ出会った)とdiscover(探していたから見つかった)
・使役動詞made/let/had/get
madeは強制的な意味(無理やり~をさせる)
letは~をすることを許す(~をさせてあげる)
hadはビジネス的な意味あい(~してもらう)
got someone to do(説得して~をしてもらった)
・やさしいにもいろいろな表現
nice(一般的なやさしい)
good(物理的に物惜しみしない)
kind(一般的な美徳)
gentle(特別な愛情を感じる)
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